小倉 美紀(パーソナルコーチ)- コラム「10年前のあの日」 - 専門家プロファイル

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10年前のあの日

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エナジー・コーチ 小倉美紀 2011-09-11 14:54

9月11日。

2001年のニューヨークの世界貿易センタービルの
テロから10年。

ちょうど10年前のあの日、何をしていたか、
鮮明に思い出します。

10年前、私はまだドイツのフランクフルトで
コンサルティング会社の人事で働いていました。

ちょうど10月末の退職が決まっていて、そろそろ
仕事の引継ぎなどが始まり、ばたばたしていた頃。

当時、ニューヨークオフィスの同僚が仕事を始める時間帯に
電話をするのが日課で、あの日はNYに電話をしても、
なぜかまったくつながらず、何かがおかしい。。。と
いうのが始まりました。

インスタントメッセージやメールは大丈夫だったので
ニューヨークにあちらから電話をくれるように頼んだところ
「今朝テロがあって、電話がダウンしている」とのこと。

いったい何のテロだろう?

アメリカに留学していたころ、ニューヨークの貿易センターで
テロがあったことを思い出し、あのときも大学の友人が
82階の銀行で働いていて、階段で徒歩で2時間近くかけて
降りてきて大変だった、という会話を思い出していました。

そしておかしいおかしいとオフィスで話していたら
誰かが駆け込んできて、NYで大変なことになっている!と
叫んだので、急いでインターネットのニュースを見たら、
あの映像です。

信じられない光景、本当に衝撃的でした。

オフィスでは、大騒ぎ。アメリカのオフィスでは、全米
すべての高層ビルが封鎖され、みんな自宅で仕事。
シカゴにいる同僚とも電話がつながらず。

ただインターネットなどのメールはつながっていたので
直接一緒に仕事をしている仲間たちはみな無事。

でも、それを喜んでもいられない状況だったのは
誰もが同じでした。

ちょうど私の上司のニコールは、その日が誕生日で
休暇中だったのですが、オフィスはどうなっているか、
ニューヨークの同僚たちと連絡が取れたかどうか、
など確認の電話が来ました。

ほかにアメリカに向かっている上司や、ドイツに
戻ってくる途中の上司もいて、みんな連絡がとれず。

後で、一人はテロが起きたとき、NYに向かう飛行機の中で、
そのままカナダに飛ばされ、何にか足止めになって、
ドイツに戻ったのは、5日後くらいでしたか。

ドイツでも、テレビはすべて、あのテロの報道ばかり。
会社でも犠牲者が出て、本当にあの後しばらくは
大騒ぎと、悲しい雰囲気と、衝撃とで、なんとも言えない
時間が過ぎたように思います。

そして高校時代の友人があのタワーで働いている!と
鳥肌が立ち、電話をしてみるものの、当然ながら
電話はつながりません。


丸2日ほど、電話がつながらず、ようやく彼女の実家に
電話をしてみると、彼女の弟くんが出てきて、彼女は今まだ
家に戻っていないけど、みんな無事とのこと。

聞いて本当に万一のことがあったらどうしよう、と
電話するのもとても怖かった。とにかく無事でよかった。

弟くんも貿易センターで働いていましたが、朝出社してきたら
ビルがあの状態。崩壊してくるビルを背に、アップタウンへ
向けて走ったそうです。

彼女はあの朝、普段のオフィスに行かず、ミッドタウンで
ミーティングがあったため、難を逃れました。でも、オフィスは
ビルと一緒になくなり、同僚を何十人も亡くしました。

今までためた仕事の資料やオフィスにおいてあったもの
すべてなくなった、職場ではいくつもチームを作って
仕事するのに、彼女ともう一人しか残っていなかった
チームもあったとか。

普段なら、オフィスにいたところだったのに、偶然にも
あの朝は別の場所にいて大丈夫だったことに
背筋の凍る思いがしました。

彼女は、私が大学留学で初めてアメリカに行ったとき
NYのJFK空港まで向かえにきてくれた友人でした。

空港を出て、車から見えたNYの風景が、マンハッタンに
そびえるあの2つのタワー。私にとってはアメリカで最初に
見た風景と言ってもいいくらい。

そしてそのとき、彼女と一緒に、タワーの一番上まで上って
夜景を眺め、本当にアメリカに来たんだと思ったものでした。

彼女は学生時代もよくNYで会って一緒に遊んだり、
就職してからも彼女の職場の貿易センターで待ち合わせて
ランチをしたりカフェに行ったりしていました。

そのタワーが崩れたなんて、にわかにはとても
信じられなかった。

その後、アメリカにいる友人たちからは次々と
無事の知らせが届き、とりあえずはほっとしたものの
あれだけのたくさんの人が亡くなり、知人の知人など
きっとたくさんの人が影響を受けたことを思えば、
とても他人ごととも思えず。。。

あの日から、10年。

みんなが、あのとき、どこで何をしていたか、
誰とあのニュースを見て、何を話し、何を思ったか、
一生覚えている日です。

過ぎるとあっという間の10年ですが、振り返れば
たくさんの変化があったはず。

あなたにはどんな変化があったでしょうか。
思うとおりの10年でしたか?

まだ思うとおりにする途中?
次の10年は、どんな風になったらいい?

何か節目のときには、そんなことを考えています。


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http://blog.livedoor.jp/mikiogura/archives/51923830.html

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