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●建物の安全性を求めて - ☆阪神大震災体験記 のコラム一覧
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私はその夜、被災地に入りました 19
淀川を渡ったのが午前2時過ぎ奈良の我家へ辿り着いたのは午前4時過ぎだった。翌朝近所の人が話す声で目が覚めた。私の車を取り囲んで何やら話しをしている。 車を見てみると一面に灰をかぶり濃紺のボデーが まさしく灰色になっており右側の前輪・後輪ともパンクしていた。 神戸では何の違和感も無かった泥だらけの車が、地震の被害が皆無だった奈良では異常な程場違いな感じで、一晩中私を守り続けてくれた車が愛...(続きを読む)
私はその夜、被災地に入りました 18
リーダー風の男が寄って来る。見た目より若そうだ。こちらが怯えているのを悟られまいと、こちらから声をかけた。 「こっ、この辺に迂回路無いかなあ」「迂回路?そんなもん無い」「あ。そう・・・・」いかん会話が続かない。 奇妙な間が二人の間に流れた。「ちょっとまっとけ!」その男が仲間の方へ歩いて行った。 なにやら指図している。やおら数人の男がその辺から石やらコンクリートの塊を持ってき...(続きを読む)
私はその夜、被災地に入りました 17
43号線を大阪に向けて芦屋付近を走っている時だった。夜中に国道を一人で走っていて暴走族に遭遇し言いようのない恐怖を覚えた人も多くいるだろう。 鉄パイプや金属バットでフロントガラスを粉々にされた話しも少なからず聞いている。真冬だし、こんな事件があった直後だから暴走族もないだろう・・・とは思いつつも付近に車がいない夜中は不気味だ。 いつ余震で崩れるか判らない高速道路の下をノロノロとスピー...(続きを読む)
私はその夜、被災地に入りました 16
みんな今日は何処で寝るのだろう、食事はトイレは風呂はどうするのだろう そんな事を考えていると急にお腹が減ってきた。 昼過ぎに大阪を出てから 何も食べていない、トイレにも行っていない。そんな事考える暇も無いほど頭が混乱し、興奮していた。 帰る前に腹ごしらえしたいけど開いている店なんて何処にもない。JR住吉を過ぎた辺りにマンションがあり 1 階にコンビニがあった。 ところが 1...(続きを読む)
私はその夜、被災地に入りました 15
救援物資を叔父の家の玄関に置いて、とぼとぼと来た道を戻り始めた。 戦国時代の小説を読んでいると攻略戦より撤退戦の方が遥かに難しいのが判る。続いている余震や火事、暴動等人的災害それより一番現実的な渋滞問題考え出したら気の滅入ること滅入ること。 小一時間程かけて車迄たどり着くと、横の家が燃えていた。もう10分でも帰るのが遅れていたら車も燃えていただろう。ドアの取手が熱くて触れなかった。 ...(続きを読む)
私はその夜、被災地に入りました 14
学校か区役所かどこかに避難している。坂の下にある小学校へ向かう。小学校も真っ暗闇だったが人でごったがえしている。校庭は臨時駐車場の様になっていて車の中で一夜を明かす人もいるようだ。 叔父の名前を叫びながら教室を廻ったが返事が帰ってこない。よし区役所だ。学校を飛び出した時、携帯電話が鳴った。 声の主は妻からだが電波状態が非常に悪い。何を言っているのか全然判らない、多分携帯電話の中継所も...(続きを読む)
私はその夜、被災地に入りました 13
若宮ランプを北上すれば叔父の家だ。この辺の橋脚もことごとく圧壊している。木造の叔父の家なんて原型が残っているとも思えない状況だが、付近を流れる数本の河川のおかげで類焼だけは免れている様子だ。 依然として辺りは真っ暗で時々通る車のライトを頼りに歩いている。時間はもう10時を過ぎている。叔父の家まで数十メートルまで迫った時、建物の形を留めていない固まりが目に入って来た叔父の家の辺りだ。 ...(続きを読む)
私はその夜、被災地に入りました 12
車を歩道に乗り上げ通行車両や避難人の邪魔にならない様注意して止め、歩いて須磨に行くことにした。しばらく火の海の中を歩き回っていると母親から聞いた神戸空襲の話を色々思い出した。 母が湊川神社の近くで空襲に合い焼夷弾や機銃掃射に追っかけまわされながら防空壕へ飛び込んだ話や、三宮の高架の下で焼夷弾によって焼かれた米俵で暖を取ったりした話や、日本の高射砲がとても優秀で探照灯でB29の胴体に照準を合...(続きを読む)
私はその夜、被災地に入りました 11
しばらく走っていると西の空が赤く染まっているのが見えてきた。 三宮を過ぎて兵庫辺りまで来ると火災の炎が肉眼ではっきり見ることが出来た。今までに何度か火災現場を目撃したことが有るが、町単位での火災は初めての体験だ。 依然として渋滞がひどい。道の両サイドの建物が燃えている。ボンネットに火の粉が雪の様に落ちてくる。誰かの車のガソリンに引火したら…。燃えている建物が崩れてきたら… ...(続きを読む)
私はその夜、被災地に入りました 10
通れそうな道を右に左に走っていると、また43号線に出てしまった。 場所は深江浜付近だったと記憶している。だがどうも風景が違って見える。100m程走って自分でもびっくりするほどの声を上げてしまった。 目をこらしてじっと闇の中を見ていると高速道路が横倒しになっている。柱脚がことごとくなぎ倒されている。どうもこうも表現しようの無い眺めだった。普通に高速道路の下を走っているときは、見慣...(続きを読む)
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