福味 健治(建築家)- コラム「☆阪神大震災体験記」(2ページ目) - 専門家プロファイル

福味 健治
木造住宅が得意な建築家。

福味 健治

フクミ ケンジ
( 大阪府 / 建築家 )
岡田一級建築士事務所 
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●建物の安全性を求めて - ☆阪神大震災体験記 のコラム一覧

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私はその夜、被災地に入りました 9

 そんな中をノロノロと走っていると対向車が泥を跳ね上げた。雨か?違う水滴はフロントガラスには付いていない。水道管が破裂しているのか?いや違うとっくに断水しているはずだ。それにこんなにドロドロしていないだろう。  まるで杭工事に使うベントナイト液の様だ。  液状化現象!? 学生時代に教科書でしか習った事のない現象を目の当たりに見ている。  地下の砂質層が常水面下にある場合、...(続きを読む)

2007/06/24 12:37

私はその夜、被災地に入りました 8

 神戸に近づくに従って渋滞が益々ひどくなる。2号線はもう殆ど機能していない。43号線は思ったより交通量は少なかったが河川のたびに地面が陥没したのか橋脚が持ち上がったのか40cm程の段差が出来ていて渡れない。  この先も寸断されているだろう。そして何よりも頭上の阪神高速が今にも崩れてきそうに思える。コンクリート製の柱脚は殆ど橋桁の下当たりで破壊されている。  ひどい柱脚は主筋が飛...(続きを読む)

2007/06/24 12:35

私はその夜、被災地に入りました 7

 渋滞を避けるため国道2号線と43号線を縫う様に走っていたので阪神電鉄を何度も横切ったが西宮市を抜けた当たりで阪神電鉄の橋梁が落ちていた。  橋梁の一方はまだ橋桁の上にあり三角形に隙間が出来ている。車一台ならなんとか通れそうだ。車を進めて丁度真下に来た時、前を行く車が止まってしまった。  対向車がいるらしい 「おいおいこんな処で止まるなよ。今余震が来たらどうすんねん」 ドラマな...(続きを読む)

2007/06/24 12:34

私はその夜、被災地に入りました 6

 天王寺を出発したのが午後3時過ぎ。浪速筋を北上し浄正橋を左折して国道2号線に入った処で渋滞に捕まる。  カーナビを使い裏道脇道を探しながら淀川を越えたのが4時半頃、渋滞に捕まる都度不安が膨らむ。早く安否を確認したいが車は進まない。  神崎川を越えたあたりから、木造の家屋に被害が目立ってきた。屋根瓦がずれ、建具が菱形になっている。  商売柄、建物の水平垂直は道具を使わなくても計...(続きを読む)

2007/06/24 12:32

私はその夜、被災地に入りました 5

 急に神戸の叔父が心配になってきた。叔父は親戚で唯一外地での戦争体験がある。中国戦線を転々とし終戦後ソ連に抑留されながらも生還した人である。  神戸に生まれ育ちそして復員してからも神戸に暮らし神戸を愛し誇りとしてきた頑固で気丈な人である。先年祖母が亡くなり今は老夫婦二人で須磨区に暮らしている。はずだ。  事務所の中が一段落したところで神戸に行く準備を始める。一般道路も規制が出始めたらしい。...(続きを読む)

2007/06/24 12:30

私はその夜、被災地に入りました 4

 事務所の外観は目立った損害は無い。唯一ALC版のジョイントが、動いたのだうコーキングに塗ったペンキが稲妻状に裂けている。私は急いで4階に駆け上がり、事務所のドアを開けた。  カウンターが倒れている、本棚が倒れている。コンピューターディスプレイー2台が落ちかけて、ケーブルだけで辛うじて止まっている。熱帯魚の水槽の中に蛍光灯が落ちて可愛がっていたベタが感電死している。まずはどこか...(続きを読む)

2007/06/24 12:28

私はその夜、被災地に入りました 3

私はその夜、被災地に入りました 3  国民の過半数がこれまで経験したことの無い事態が発生したのだ。  信貴山越えの山道を大きく迂回して大阪の柏原にでる。そこまで出ればカーナビを利用すればなんとか天王寺の事務所に辿り着ける。走った事の無い道を、行きつ戻りつしながら事務所に着いたのは12時過ぎだった。(続きを読む)

2007/06/24 12:26

私はその夜、被災地に入りました 2

 東の空がしらみ出した時、NHKの神戸放送局の映像が写された。見たこともない凄まじい揺れ、仮眠していた人が飛び起きたが立っていられない様子。これは京都が震源じゃない神戸だ。  滋賀の姉から電話がかかる。神戸の叔父の連絡がとれないとのこと。「会社へ行って用事を済ませたら神戸に行って様子を見てくる。」と返事をして電話を切る。  テレビは刻々と事態の深刻さを伝えてくる。鉄道全線不通。高速道路全線...(続きを読む)

2007/06/24 12:23

私はその夜、被災地に入りました 1

 平成7年1月17午前5時46分 奈良の自宅のコタツの中でうたた寝をしていた私は夢と現実の間で横揺れを感じていた。  地震だな…長いな…大きいぞ!…意識がだんだんハッキリしてくる。二階で子供が泣いている。金魚鉢の水がこぼれた。水屋の茶碗がガタガタなっている。外はまだ真っ暗だ。  40秒程続いた揺れがおさまって、慌ててテレビのスイッチを入れる。画面が写らない、しかし音声だけで地震の情報を流し...(続きを読む)

2007/06/24 12:21

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