グループ
コラム一覧
934件中 901~910件目RSS
デザインの話し その6
最大の違いは主翼のカタチ。残念ながらゼロ戦の主翼の形状はこの写真からは殆ど監察出来ませんが、主翼の前縁が胴体から翼端に行くに従って後ろの下がっていきます。これは主翼に座席を乗せる為に重心を考えた措置です。隼は主翼の前縁は一直線です。こちらの方が工作が簡単で強度が出やすいのです。 又500Kmを超える高速になると、旗がたなびく様に震える現象(フラッタ)が発生しますが、前縁を一直線にする事によりフラ...(続きを読む)
デザインの話し その5
細かい処では、ゼロ戦は尾輪が引き込み式になっているのに隼は出たままになっている。引き込ませた方が空気抵抗が少ないので、当然速力アップにつながります。何故隼は採用しなかったのか?これはゼロ戦の方が工作に優れていた為ではありません。ゼロ戦は海軍機ですので主に航空母艦から発・着艦します。ですので、砂が詰まって故障する事がないので精密な細工が可能だったのです。陸軍機の場合は陸上の飛行場から離着陸します。当...(続きを読む)
デザインの話し その4
この二機はそれ独自のアイデアでこの難問の回答を見出しています。それでは写真を見てみましょう。 ほんと、良く似ていますね。 一見して目立つ違いは有りませんが、細部に違いが見られます。 全体で違うのはゼロ戦の方が胴体が太い。隼の方がスマートです。隼は軽量化を計る為、胴体を極端に絞り込んだのです。 軽い機体を造って速度と距離を稼ぐ、涙ぐましい苦労があったことでしょう。ではゼロ戦はどうやって軽量化...(続きを読む)
デザインの話し その3
そこで、堅苦しくない工業デザインのお勉強です。 昔の人はどの様な性能を要求されてどの様に解決して行ったかご紹介します。温故知新です。 題材にしますのは、第二次大戦時代の日本を代表する戦闘機。 ゼロ戦(画像1)と隼(ハヤブサ)(画像2)です。 写真のアングルが違うのであまり良い教材ではありませんが、ゼロ戦は海軍が三菱に開発させた戦闘機で、隼は陸軍が中島飛行機(富士重工の前身)に開発させた戦...(続きを読む)
デザインの話し その2
で、建築のデザインはと云うと、これが難しい・・・ 商業・工業両方のデザイン力が要求されるのです。 昭和30年代、丁度丹下健三(東京都庁の設計者)が花形だった頃は機能主義(機能的なものこそ美しい)が全盛でした。 昭和40年代に入って磯崎新や黒川紀章が脚光を浴びると機能一点張りのデザインに批判が集中し感性に訴えるデザインが持て囃される様になりました。 現在は混沌とした状態で、様式と呼べるデザ...(続きを読む)
デザインの話し その1
色・カタチを決める力って何処から生まれるのでしょう? それがデザイン力です。デザインには二種類あります。 服飾やポスター等を扱う商業デザイン。車や飛行機等のカタチを決める工業デザイン。 工業デザインには初期に設定された要求を満足させると云う制約があります。「これだけの大きさの中にこれだけの性能を満たしなさい」と云った相反する要求を満たす作業をしていきます。 云ってしまえば、工業デザインは...(続きを読む)
日除け 2
画像1は床面から2.4mの高さに出幅1mの庇を設けた時の、夏至の日差しです。 北回帰線は23°30′大阪の緯度は35°90−(35−23)=78°が夏至の日の南中時の太陽高度です。4日に1°のペースで太陽高度が下がりますのでお盆前後は63°付近まで下がってます。丁度、上記の庇の角度が63°程度になります。 ですから、夏至では部屋の中に、日差しは入り込んでいません。お盆前後でも、ほぼ窓際で止...(続きを読む)
ヨシモトかっ!
よく行くガソリンスタンドの、新しく入ったバイト君。 「いらっしゃいませ!レギュラーで宜しかったでしょうか?」 (宜しかった?なんで過去形やねん?) 「満タンで宜しかったでしょうか?」 (満タンで宜しいでしょうか?やろ) 「窓を拭かせてもらっても宜しかったでしょうか?」 (どうも過去形を丁寧語と思っているらしい・・・) 「サインをお願いします!」 (おっ!やっと現在形になった...(続きを読む)
日除け 1
夏の暑さ対策は日本の住宅の命題です。ようやく、涼しくなってきましたが、真夏の暑さの記憶は、まだまだ消えていません。真夏でも屋外の木陰の様に四方八方から風がとおりぬければ、まだ少しは我慢できるでしょうが、住宅の場合は耐力壁を配置したり、プライバシーの問題からわざわざ壁を設けたり、通風は木陰と比べ物にならない程悲惨です。まして、直射日光が遠慮なく差し込む部屋は、クーラーでも、つけない限り、サウナ状態に...(続きを読む)
地形の不思議 3
阪神大震災の時、上下の断層のずれは最大で1.5mです。 日本列島が出来始めたのが1500万年前。完成したのが1万8千年前。どの時代から生駒山の造山運動があったかは定かでないが、120万年前に瀬戸内海が出来ているので、その辺りから隆起が始まったのではないでしょうか。現在の海抜が640m。 生駒山が640mの高さまで成長しようと思えば、640m/1.5mとして阪神大震災427回分の地震エネルギーが...(続きを読む)
934件中 901~910件目