小笠原 隆夫
オガサワラ タカオ「本気かどうか」は自分にしかわからない
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少し前のことになりますが、ニートや引きこもりの若者の就労支援をしている厚生労働省の広報ポスターに対して、現場関係者などから批判が出ているという話題がありました。
「キミはまだ本気出してないだけ」との応援メッセージが、職に就けない責任を個人に押しつける印象を与えているからだそうです。
厚労省の担当者は「“本気”には“本当の気持ち”という意味や、どんな思いでも打ち明けてほしいという願いを込めた」と説明しているそうですが、ニートやひきこもりには病気やけがを抱えていたり、家庭環境や障害などで人間関係をうまく作れないような人もいるため、現場スタッフから「上から目線だ」「無職の若者すべてが本気を出していないように誤解される」との指摘が何件か寄せられているそうです。
私は「本気になればきっと解決できる」と応援したい気持ちも、「みんなが本気を出していない訳ではない」と批判する気持ちも、どちらもわかるような気はします。
ただどちらにしても、この「本気」という言葉を使うのは、結構注意が必要なことだと思います。「その人が本気かどうかは、他人から見てもわからない」からです。
このところいくつかの会社で「仕事をやってもやらなくても、どうせたいして変わらない」という社員を何人か見かけました。だから「本気なんか出してもしょうがない」のだそうです。
この話でも同じく、「本気かどうかは、他人から見てもわからない」ということがありますが、逆説的に見れば、「本気かどうかは自分ならわかる」となります。
では、本当に自分はわかっているのかと言えば、これには両面あるように思います。
それは、自分の本気レベルがわからなくて「この程度のもの」と思っているのか、自分の本気レベルを知っていて、「それでは到底無理」と悟っているのか、そのどちらの場合も考えられるということです。そしてそのどちらの場合も、本心は自分にしかわからないということです。
私がいろいろな人を見てきた経験から言えば、「本気になるのはムダ」と言っている人が本気になっている姿を見ることは、その人の過去にさかのぼってもほとんどありません。
本当の本気になって、できることをできるだけやって、それでも報われないことを知って、その結果として「本気なんか出してもしょうがない」と言っている人は、たぶんほとんどいません。
やろうとしないこと、やる気がないこと、できないことの言い訳であることが圧倒的に多く、ほぼすべてがそうであると言ってもよいでしょう。
しかし、これもあくまで他人から見ていて思うだけのことであって、その人が本気かどうかはやっぱり本人にしかわかりません。「本気になろう」と励ますのも、「本気を出せ」と叱責するのも、本気という言葉を使うのはやはり難しいことです。
本気になるかどうかを決めるのは、結局は自分次第です。それがどんなに難しいことでも、可能性が低いことであっても、そのことに本気になれて、本気で取り組むことができるのだとしたら、そのすべてがムダになることは絶対にないと私は思います。
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