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PTA会長を「卒業」するに当たって

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PTA

 〇〇小の大塚です。二年間、PTA会長を務めましたが、いったん、会長を「卒業」します。この機会に、〇〇区のPTA会長の皆さま、特に新しい会長の方々に、僭越ながら、申し上げておきたいことがあります。

 まずは私自身、この二年間は、自分の人生の中でも、特別に意味のある期間でした。PTA会長をやってよかった、と思うことがいくつもありました。一つは、若いママさんたちが、会長、会長と、私を慕って押し寄せてくることです。加えて、小P連での活動を通じて、個性豊かな会長方と知り合いになれたこと、気心を通じあえたこと、そして何より、それにより自分が成長できたことです。二年前の私も、一角の人物ではありましたが、その後小P連でもまれ、さらに大きく成長し、ピカピカに光り輝き、今では誰も私を直視できないほどではないでしょうか。

 さて、PTAの会長になると、やはり、小P連の関係の活動が中心になるかと思います。その中には、これ本当に必要なの?と思うものもあるのではないでしょうか。例えば、スポーツ大会です。子供たちのために活動するつもりで入ったのに、これ本当に子供たちのためになってるの?と。

 実は、私も、二年前に、同じような疑問を持ちました。それで、当時の小P連会長の〇〇会長に、率直に、お聞きしました。すると、〇〇会長は、「大塚会長、やってみればわかりますよ」とおっしゃるのです。そうかなあと思いながら、やってみました。大会が終わりました。何か分かったか?分かりました。一つ、達成感が半端ではないこと。二つ、他の会長たちと親密な関係が築けたこと。私は、こいつらのためなら、死ねる、と思いました。敵国に侵略されても、この仲間となら、レジスタンス活動ができる、と思いました。インカムは、そのときに連絡を取りあう、良い練習となりました。

 共同で活動をする、仕事をするというのは、弁護士として、他の弁護士と弁護団を組んで、大きな事件に取り組むという経験があります。そのときとも大きな達成感、連帯感を味わいました。しかし、PTAでは、それ以上のものを得ました。なぜなら、メンバーは、同業者の集団ではなく、それぞれバックグラウンドも違う、考えも違う多種多様な人の集まりです。中には、たまに、つまらないジョークを言うだけで、会合になると、真っ先に自分の言いたいことだけ言って、そのあとは寝てしまうという人がいました。本人は、寝ていない、沈思黙考していた、と言い張るのですが、本当でしょうか。あれ、僕のことかなあ? その他にも、皆さん、とても個性的な人ばかりです。そんないろいろな人々が、小P連会長のリーダーシップのもと、あるときは、衝突したり、あるときは議論したりしながら、ひとつのイベントを成功させる。それは、大変だけど、終わってみると、他に比較できないほどの、とても大きな満足感と、親近感とを味わうことができました。

 私は、PTAは、自分の子だけではなく、他の子も一緒に、保護者が協力して育てることに、意味があると考えています。ここ〇〇区のPTAは、自ら進んでか、人に押し付けられたのは分かりませんが、でも、一旦会長をやるとなったら、一生懸命やる、熱意のある有能な人ばかりです。人の集まりですから、嫌だなあと思う奴はいます。しかし、ああそれでも、この人も、子供たちのために一生懸命なんだなと思うと、反感はスーッと消えていきます。却って、親近感を感じます。抱きしめたくなっちゃう。なにより、そのような付き合いを通じて、自分が成長できた、というのは、大きな発見でした。PTAをやってみて、初めて分かったことです。

 保護者同士が、親善を深める、親密になるというのは、いざというときのためでもあるし、普段でも、十分、子供たちのためになっていると思います。なぜなら、自分たちが、子供たちのための活動をしているんだという意識を通じて、自分たちが、この社会を支えているんだということを実感できるからです。困難があっても、それから逃げず、皆で議論して、それを克服していく。これは、大げさなように聞こえるかもしれませんが、まぎれもなく、民主主義の基本です。

 ところで、PTAを否定し、その活動を批判する人たちがいます。中には、憲法学者で大学教授という指導的立場にいながら、民主主義とか、大事なことを考えなければならない人なのに、何が不満なんだか、PTAを敵視している人がいます。これは、私は、法匪だと思います。ほうひ、と言っても、屁をひる、おならをするのではなく、法を使って悪いことをする、みんなをだますようなことする、という意味ですね。この人の影響でしょうか、某女性タレントが、朝日新聞と組んで、反PTAキャンペーンを展開しています。PTAを脱退したい、入会したくない、会費を払わないという人が現れて、各学校の現場で、混乱が生じています。

 しかし、皆さんには、自信を持って、誇りをもって、これからも、そしてこれまで以上に、PTA活動に励んでもらいたいと思います。そして、同時に、PTAに反感を持っている人に対しても、温かく接して、できれば仲間に迎え入れ、一緒にやっていっていただけたらなあと思っています。

 PTAに入りたくない、抜けたい、会費を払わないという人は、その人が、精神に問題を抱えた人なら、そのケアーがなされなければならないのは当然です。しかし、そうでないのに、役を押し付けられたとか、人間関係が煩わしいとか、任意であることを告げられなかった、などという理由で、PTAに批判的である人々は、たぶん、PTAに関連して、自分の思いどおりにならなかった、あるいは嫌な目にあったという経験があったのだと思います。件の教授も、心に闇を抱えているのでしょうか。

 お辛い経験をなさったのだろうな、と同情します。しかし、自分の経験からしか物事を判断できない、というのは、実は、可愛そうな人だと、私は思います。同時に、そういう人に対しては、そんなことでどうする、敵国から攻撃されたとき、子供たちを守るために、武器をもって戦えるのか、大災害に襲われたとき、体を張って、子供たちを救うことができるのか、保護者が協力して事に当たらなければだめだろう、と厳しく問いただしたい。頑張れと、励ましたい。

 そのような人に対しては、より高い見地から再考してもらいたい。教育とは何か、親は子供たちに何をしてやれるのか、ということから、よく考え直してもらいたい。

 私は、PTA活動は、義務ではなく、権利であると信じています。本来、教育というものは、私的な、個人的ものです。人間として、もっと言うと、生物として生き延びるための術(すべ)を、その知識、経験を、親が、子供に伝える、それが教育の基本のはずです。昔々、マケドニアの王様が、その子のために、当時の最高の哲学者アリストテレスを家庭教師として、育てました。その結果出来上がったのは誰でしょう。アレキサンダー大王です。ギリシャ文化とアジアの文化とを融合させたヘレニズムを実現するという偉業を成し遂げました。私も、お金があったら、そんな贅沢をしてみたい。しかし、テクノロジーの発達した現代では、保護者達が協力しあえば、マケドニアの王様がやったこと以上のことができるはずです。

 教育は、本来、親のやることであるのに、現代社会では、分業の必要やら、国家の都合やらで、親から取り上げられてしまった。学業のほうは、プロの学校の先生方にお任せしている。しかし、いざとなったら、教育を、親である自分たちが取り戻すんだ、その気概を持って、PTA活動をしたいものだと、思っています。それが、私が、PTA活動は、義務ではなく、権利である、と言うことの意味です。

 親が、子供たちの将来のために残してやろうと考えるとき、それは何でしょう。お金か。お金は使っちゃえばなくなるし、盗まれてしまうかもしれない。では、健康な体か。それは間違いない。協調性も必要でしょう。そして誰でも考えつくのは、教育でしょう。しかし、立派な教育を施しても、例えば仕事がなかったり、空気や水が汚れていたりしたのでは、意味がない。教育だけではなく、仲間や、良好な社会環境や自然環境も、同時に、残してあげなければならない。そう考えると、教育とは、一人自分の子のことを考えていればいいのではなく、子供たちのことを、そして、環境をも含めて、考えなければならない。そのためには、一保護者だけではない、保護者の全体でもまだ足りない。社会全体が考えなければならない、社会全体で責任をもって育てなければならない、ということに思いが至ります。

 そして、私は、子供というのは、未来からの預かりものだと思います。50年後には、ここにお集まりの人は、ほとんど全員死んじゃっている。今の子供たちが、社会を運営しているはずです。そのとき、うまくやれるように、教育しなければならない。子供たちに、よい環境を残してあげると同時に、子の自立を支援するものでなければなりません。

 こうして、社会全体で、協力して、子供たちを守り、育て、自立を助ける必要があるわけですが、そして、場合によっては、協力して敵と戦わなければなりません。しかし、保護者の中には、敵が来たら、逃げればいいとか、殺されてもいいという人がいます。正直に言うと、そういう人とは、私は、友達にはなれそうにもない。私は、私を支配しよう、私を殺そうとする敵に対しては、戦う。仲間がいれば、仲間と組んで戦う。しかし、PTAの魅力、必要性をお伝えしても、お願いしても、それでも協力していただけない、という方はいらっしゃるでしょう。

 しかし、そうであっても、PTAは、子供に対しては、全ての子供に対して平等に扱わなければなりません。PTAが、学校の施設を使わせてもらっているのは、学校教育法という法律上の根拠があります。全ての子供たちを、分け隔てなく扱うということで、許されているのです。PTA会費を払わない保護者の子には、運動会で配るノート類をあげない、あるいは実費を徴収すべきだ、という意見もありますが、私は、それはよろしくないと考えます。なにより、子供たち一人ひとりに、我々が振り向ける情熱は、その程度の物ではなく、金銭に評価できるものではないはずです。

 同時に、PTA自身も、根拠なしの前例踏襲であってはいけないと思います。できる限り、多くの保護者が平等に公平に参画できるように、手続きも内容も、民主的であるかどうかという観点からの点検が、絶対に必要だと思います。PTA反対派の人の意見は、その意味で、とっても大事だし、とても、参考になります。反対派の人々は、感受性が豊かで、繊細な神経をお持ちの方が多い。また、権利意識に目覚めた人も少なくない。多勢に流されないぞと、性根の据わった者もいる。ですから、こじらせる前に、早めに、そのような人々の真意を汲み取って、対処したいものです。PTAが民主的な組織であるように、改革が必要であれば、それを躊躇してはいけない。PTAは、まだまだ進化できるし、もっともっと魅力的になれるはずです。憲法学者にも、日本の民主主義のためにPTAができることについて、教え、示してもらいたい。

 また、PTAに合理性や効率を求めすぎるのもどうかと思います。営利活動ではないのですから、多少、無駄な部分があってもやむをえない。むしろ、無駄とも思えるその余裕が意味をもっているのかもしれない。

 〇〇小の〇〇会長は、日本でこの人より忙しい人は、数人しかいないだろう、というほどお忙しい仕事をしています。その〇〇会長が、小P連の新年会の出し物のダンスのために、直前まで、iPadをみながら、身振り手ぶりよろしく、一生懸命に練習をしていた姿を、私は忘れることができません。

 PTA会長というのは孤独です。各方面から要請や要望が流れ込んできます。周りの人からは、会長が何をやっているのかが見えない。我々は、同じような立場の者が集まる小P連で、その孤独を癒やされ、また本来の活動の場である単Pに帰ってゆく。

 人から、PTAって、大変でしょう、と聞かれることが多い。その際には、大変ですよ、と正直に答えるしかありません。しかし、でも、楽しいよ、自分のためにもなるよ、と教えてあげて欲しい。そして、できる限り大きな保護者の輪を作って、関係者と協力しながら、子供たちを見守り、慈しみ、育て上げたい。PTAは、そういうものであったし、今もそうであるし、これからもそうであって欲しい。私からのお願いです。

 要するに、私の言いたいことは、こういうことです。みんなで、PTAを楽しもう。そして、子供たちを笑顔にしよう。

 ありがとうございました。

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