専門家と専門バカ
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おはようございます、今日はビヤホールの日です。
実はビールが苦手でして・・・もっぱら焼酎です。
物流等と新しい技術の流れについてお話をしています。
昔の学問は総合的だった、ということに触れました。
確かに、当時は今よりも人間社会が幾分か素朴であったことは間違いがありません。
社会が素朴であるのだから、当然に学問も比較的わかりやすい構造をしていたことでしょう。
しかし、それでは当時の学問体系が現代のものより劣っているのか?というと決してそうではないように思います。
現代のように様々な道具や支援が充実していない状況にあって、社会の構築や維持はさぞや大変なことだったかと。
それらの様々な課題に対して、学問を学ぶ人間はあらゆる側面に対して気を配り、博覧強記、八面六臂の活躍をしていたことでしょう。
現代のように「ここからここまでやってくれればよいから」なんて甘いものではありません。
生き残るためには、現代に比べても本当に様々なことに対処できなければいけなかったはずなのです。
それを分業化し、それぞれが専門家に代わったことで人類社会は大きく発展したとも言われています。
その一方で、そのような専門家が専門バカを大量に産んでしまったことが問題なのではないか?ということも近年提唱され続けていることです。
古典と呼ばれるものに触れることの意義は、このあたりにあるような気がしています。
明日は改めて易経について。
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