対象:ビジネススキル
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塚本 秀寿
研修講師
1
体験することが一番です。
こんにちは。
研修講師の塚本秀寿と申します。
以前、某速読関連団体で速読教室のインストラクターをしながら本部教室を運営していました。また、フォトリーディングの集中セミナーにも参加したことがありますのでこの2つに関してお答えいたします。
学習塾や社会人を対象に速読教室を運営している団体はきちんと理論根拠があります。その分、料金も一般的なカルチャー教室より高いと思いますが、正当だと言えます。
私も教室を運営するのにあたり、全くの素人から始めましたが、当初1分間に700字前後しか読めなかったのですが、最終的には1分間に15,000字前後は読めていました。厳密に言うと「読む」ではなく「視る」が正しい表現なのですが。
しかし、認定等されたインストラクターの指導がないと効果並びに能力の継続は難しいと思います。市販されている廉価な速読のソフト等でも一時的には効果が上がるものもあるようです。
また、フォトリーディングに関してですが体験された方の感想には個人差がかなりあると思います。私は、3日間の集中セミナーに参加して驚く体験をしました。
街の本屋さんに行き、新刊本を手に取りフォトリーディングを実践しました。時間にして3分もかけていないと思いますが、その新刊本の要約を隣にいた友人に説明しました。
今はトレーニングをしていないので、通常の速読もフォトリーディングもパワーダウンしているようです。ちなみに、一度身に付いた速読の能力は落ちないと私がいた教室では言っていましたが、私の場合は落ちてしまっているようです。このあたりを指して、胡散臭いというのでしょうか?
ちなみに、私が運営していた教室には某地検の検事さんや某裁判所の書記官の方等も受講されていました。
結論としては、実際のところ個人差があると思います。ご興味あるのであれば、体験レッスンなどに行かれてみるのが一番よいと思います。もしかしたら、ご自分の隠れた能力が開花するかもしれません。
評価・お礼
koikoi2099さん
2010/12/09 15:36早速の回答ありがとうございます。
「胡散臭い」というのは、体験された方の感想を見聞きした上で私が思っていたことです。
広告の内容も、似たり寄ったりの怪しさでいっぱいのように感じますし(笑
でも、一度体験してみたいと思います。
安藤 一郎
ビジネススキル講師
1
速読は地道なトレーニングなんです
こんにちは。
私は日本速読・記憶法セミナーというスクールで
速読のインストラクターをしている安藤と申します。
私のお答えできる範囲でお答えさせて頂きます。
速読というのは、特殊な技術ではありません。
誰もが持っている能力を伸ばしていくというだけのことです。
例えば、
私たちの教室では、入学時に読書スピードを計測します。
その時のスピードは、遅い方では1分間に300文字程度から、
速い方では1分間に1200文字程度も読まれる方もいます。
このとき、300文字しか読めない方から見れば、
1200文字も読める方はもちろんとして、
平均的な1分間に5~600文字を読む方も速読をしているように見えますよね。
しかし、1200文字を読める方にしてみれば、特に急いでいるわけでもなく、
そのスピードで普通に読めているのです。
では両者はなにが違うのか。
一目でわかるのは目の動きです。
遅い方は目の動きが遅く不規則(ムダな動きが多い)、
速い方はスピーディで規則的に動きます。
この目の動きを、スピーディに規則的に動かせるようになるだけで、
読書スピードはある程度上昇します。
他にも、理解力や記憶力などといった様々な要素があるのですが、
その各要素をそれぞれ鍛えていくことによって、トータル的に読書スピードを上げていこうというのが速読のトレーニングです。
人間の脳は鍛えることによって様々なことをスピーディに処理できるようになります。
そろばんをやっている方はトレーニングによって一瞬で計算ができるようになりますし、
語学の学習では、始めはついていけなかったネイティブの発音でも、何度も繰り返し聞くことによって耳が慣れていきますよね。
速読のトレーニングもこれと同じことです。
まずは目のトレーニングを行い、効率よく「見る」ことから始めますが、
結局のところは「脳を鍛えスピードに慣らす」ことに他なりません。
多少の時間はかかりますが、地道なトレーニングを続けることによって
誰でも確実に速読能力を身につけることができます。
速読を「裏ワザ」と捉えるのではなく、
目と頭のトレーニングと捉え、
目標とするスピードも、始めから1分間に数万字と大上段に構えるのではなく、
まずは現在の1.5~2倍程度とすれば、
誰でも無理なくトレーニングできるのではないでしょうか。
補足
ご指摘の「胡散臭さ」について私の見解をお答えします。
これは大きく分けて次の3つの要因があると思います。
・個人の能力差の問題
・「速読」という言葉の問題
・取材などの問題
まず個人の能力差の問題です。
速読トレーニングは目と脳を鍛えるのですが、
主に鍛えていくのは脳です。
脳の個人差は、
体の個人差の何倍もあります。
体力に個人差があるのは当然ですね。
例えば100メートル走では、
トップアスリートは我々の倍近いスピードで走ることができます。
頭の能力はその違いがもっと顕著に表れます。
私の友人に高校時代にそろばんの大会で全国1位になった男がいるのですが、
私が紙を使っても数分かかるような計算を、彼は一瞬のうちに暗算で解いてしまいます。
その能力差は数十倍でしょう。
実際に100メートルを走ってみると、
「この距離を10秒で走れるなんて信じられない」と思いますが、
我々はテレビを通じてそういう人がいる事実を知っています。
倍程度の速度でもちょっと信じられないのですから、
5倍や10倍、人によっては数十倍の速度で本を読むことができると言われても
感覚的に信じられないのは当然かもしれません。
次に言葉の問題です。
速読という言葉には
1「速く読んで内容もしっかり取れる読み方」
2「速いんだから内容はあまり取れなくてもよい読み方」
と2つの意味が混在しています。
当然1のスタンスで行うトレーニングの方が時間がかかります。
しかし、多くの顧客のニーズは「手軽に学びたい」。
そこで飛ばし読みを含む、2のスタンスの教室が増えてきました。
これはビジネス書などの、
見出しが大きく「読みやすさ」に最大限気を使った本には一定の効果を得ますが、
小説などの、全文を理解する本には不向きです。
とばし読みも含むので1冊を数分で目を通すこともできますが、
その読み方は一般的な「読む」という概念とは違い
「目を通す」という感覚に近いものです。
最後に、取材などの問題です。
速読のトレーニングというのは本来、とても地味なものの繰り返しですが、
テレビなどの取材では
「特殊なトレーニング」や「裏ワザ的なトレーニング」を求められます。
そこで、奇をてらったトレーニングを一部取り入れるケースもあるようですが、
あれはいろいろな意味で宍戸梅軒の鎖鎌と同じだと思っています。
以上、私なりに「胡散臭い」と思われてしまう要因を考えてみました。
評価・お礼
koikoi2099さん
2010/12/09 15:46回答ありがとうございます。
まさに仰る通りです(笑
テレビや広告も然り、裏技的な印象を強く受けていたので、俄かには信じがたいといった感じでした。
個人差はあれど、訓練次第で向上するものならば信じてやってみたいと思います。
(現在のポイント:3pt)
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