歩めば歩むほど遠くなる道
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「だいぶわかってきたと思っていたのに…。まだ殻が破けていないみたいです。」
心の勉強をしていて楽になってきたけれど、まだ実践出来ていなかった…と言うような人がいたとします。
2年半前に、こんな記事を書いていました。
【わかると思ったことはわかっていないこと】
http://ameblo.jp/mikatakakumei/entry-10800795605.html
心の学びというものは、実践道です。
柔道、空手道、茶道、華道など「道」と名が付くものは沢山あります。
習い事などを真剣にやっていた人はわかって頂けると思うのですが、何かの道を歩み始めて「近づいた!」と感じるどころか、むしろ頂上が果てしなく遠いことに気付くことってありませんか?
例えば書道を学んでいて、少しずつ字が綺麗になっていきますよね。
「だんだん上手くなってきた~。」と思うと共に、さらに進んでいくと、「この道にゴールはあるのだろうか?」と感じる様になってくることは、想像して頂けるのかもしれません。
心の学びというものも同じで、学べば学ぶ程に先が見えなくなるものなのです。
「だいぶわかってきた!」と思う時点で、まだまだ入り口にも立っていないことは明白です。
昔、天応恵倫(てんのうえりん)という和尚がおりました。
禅宗の厳しい修業を終えて、師匠である九峰和尚から印可を受け導師となりました。
ある日、渡辺南隠(わたなべなんいん)という和尚に会う機会を得ました。
当日は雨が降っていたので、恵倫は下駄を履いて傘を差して出掛けていきます。
南隠は、恵倫を部屋に通して挨拶をした後、次のように尋ねます。
「下駄を脱いだ折、傘を置かれたかと思いますが、さて、左右どちらの脇に置かれましたかな?」
言葉に詰まった恵倫は自分の未熟さを知り、南隠に弟子入りを願い、それから6年間、南隠の元で修業をし直したということです。
これだけ聞くと、「どういうこと?」と思うかもしれません。
もしかしたら恵倫は、自分の悟りをいかにして伝えるかということで頭が一杯だったのかもしれません。
それを見抜いた南隠が、あえて恵倫に質問したのでしょう。
その一言だけで自分の未熟さに気付き、弟子入りを願って6年間修業をしたという恵倫も立派な方なのだと思います。
仏教というのは実践の学問です。
知識を増やして知った気になるものではありません。
実践出来ていなければ、ただの知識として終わってしまうんですね。
心の学びをしていく上で、まず最初に2つの段階があると思うんです。
まず最初に、心の学びの必要性に気付くこと。
気付くからこそ自らを見つめ直していくわけです。
そして、次に実践していくという段階です。
知ったことを腑に落として実践していくことで初めて智慧となるんですね。
腑に落とすことと実践は繋がっていて、実践無くして腑に落ちることはありません。
「わかった!」というのは、まだ入り口にも立っていない段階であり、「腑に落とせない!」というのは、実践を続けていない証拠です。
そして、この学びは知れば知るほど深くなり…。
それこそ一生をかけて少しずつ深まっていくものなんですよね。
若造の私も、まだ学びを始めたばかりです。
ですが、確実に心が軽く楽に生きられるようになったことは実感しています。
人生で趣味やレジャーを楽しむ他に、一生モノの学びを行っていくことで、より人生が豊かで楽しいものになっていくと思います。
慢心せずに学びを深めていきたいものですね(^_-)-☆
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