色眼鏡を外す智慧
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「物事を正しく見る」
これは、仏教で第一に立てられているものです。
正しく見るとはどういうことかと言うと「理解する」ということです。
あらゆる宗教では信仰の大切さを説かれておりますが、それは仏教でも例外ではありません。
最後には信仰心というものが大切になってくるのですが、理性無き信仰は大きな危険を伴うものでもあります。
「あのお方こそが宇宙で唯一の神だ。」
「どうして神だとわかるのですか?」
「そんなことを問うてはいけない。神だから神なのだ。」
と、言われたままを信じるのが盲目の信仰というものです。
これは極端な例なのでわかりやすいですが、多くの人々は先入観から信じてしまうことが多いのです。
自分が慕っている人がいたとして、その人が占い師を紹介してくれたとします。
「あの人は本物だから信じて大丈夫だよ!」
と、慕っている人から言われたものだから、会う前から「凄い人」というイメージが植え付けられているわけですね。
その時点で「色眼鏡」というものでレンズが曇っているので、相手に会った時に「ありのまま」を見ることは出来ません。
「そんなに凄い人ならば、是非一度占ってもらいたい!」
と、占いの予約をした後、その占い師に占ってもらった経験のある友人に出逢います。
そこで、こんなことを言われるわけです。
「あ~、あの人の所に行くの?やめた方がいいよ~!全然当たらないし、あんな占いインチキだから!」
そう言われたことで、
「なんだそうだったのか!」
と、今度は疑いの気持ちが前面に出てくるようになります。
そして、実際に会った時には、最初から疑いの眼差しで相手の落ち度を探すようになります。
どうしてそんなことになるかと言うと、正しく物事を見る智慧が欠けているからに他なりません。
お釈迦様は、理解無き信仰の危うさを知っていたので次のように説かれました。
「ただ人から聞いたというだけで信ずべからず。
長い習慣ということで信ずべからず。
本に書いてあるということで信ずべからず。
先生の言葉ということで信ずべからず。
よく見極め、事を分けてみて、それが理に適い、
全ての人の為に利益になると解った時に実行すべきである。」
自分で見極める力が無いと、良いことを言っているような人に騙されてしまうようなことにもなります。
古い慣習に捉われて新しいことを受け入れられないようなことにもなります。
催眠術で心の傷を癒したり、悪い習慣を取り除くことは出来ます。
ですが、暗示にかかり易いということは、物事を正しく見えないということでもあるんです。
その暗示から抜け出さない限り、本当の自分というものがわかりませんし、目の前の幸せに気付くということも無くなってしまうわけです。
「いやいや、私は幸せの世界に生きていて、正しく物事が見えていますよ!」
という誤った自己暗示によって、自分がどれだけ物事を正しく見えていないかもわからないんですね。
「自分すらも疑う!」
最終的に助けてくれるのは自分であり、大切な自分であることに変わりはないのですが、もし、その自分が目を瞑っていたとしたら、それほど危険なことはありません。
まずは物事を正しく見るための智慧を身に付ける!
それからがスタートなのだと思います♪
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