己が己を己でどうするか
-
私の師である松井さんが、こういう言い回しをすることがありました。
「己が己を己でどうするか。」
自分を見つめることも、変えていくことも、全ては自分で決めることであり、誰かが代わりにしてくれるものでもありません。
だからこそ、「自分との戦い」と言うのですね。
江戸時代の剣術家で徳川将軍家の指南役にもなった柳生宗矩が、こんな言葉を残したと言われています。
「人に勝つ道は知らず、我に勝つ道を知りたり」
相手のせいにして怒ったり、自分の弱さを見て落ち込んだり、まずは、その自分の弱さを認めることから始まるわけです。
弱い心が恥ずかしいのではなく、弱い自分を受け入れられない心が恥ずかしいのです。
昔の剣術者の老後の言葉として、修業を五段階に分けて説いたものがあります。
(1)下位の者は修行しても物にならず、自分も人も下手だと思い、役にも立たないものである。
(2)中位の者はまだ役には立たないけれども、自分が下手であることや、他人の不足分がよくわかる者である。
(3)上位の者は自分は上手であると自慢することができ、他人から褒められることを悦び、人の不足を嘆くが、この者は使い物になる。
(4)上々位の者は腕前についてまったく知らないふりをしており、他人もあの人は使い手であると見る。
(5)絶位の者は剣道に深く入れば入るほど、終に果てもなきことを見破り、これでよしと思うことなく、一生不十分であると知って、自慢の念も、卑下の心もなく、ただひたすら一生修行する人である。
心の修行も同じです。
自分の修行は自分でしか出来ないわけです。
誰かの良い話しを聴いて満足するだけでは何もなりません。
自らの弱い心を知ったとしたら、その心をいかにしていくか…。
全ては自分で決めることであって、誰かに決めてもらうものでもありません。
全ては自己責任!
故に自分との戦いでもあるわけですね。
「己が己で己をどうするか。」
さあ、どうしましょう?(^_-)-☆
※メールマガジンだけでしかお伝えしないお話しもあります!
見方革命家まーくのメルマガ登録はこちらです♪
このコラムに類似したコラム
自然の流れを塞ぐもの 池本 真人 - Webプロデューサー(2013/10/03 21:33)
住職と猟師と観音様 池本 真人 - Webプロデューサー(2013/09/25 12:23)
幸せな人生を歩むために必要な二つの目 池本 真人 - Webプロデューサー(2013/09/13 10:00)
前世からのカルマとは何なのか? 池本 真人 - Webプロデューサー(2013/09/05 09:07)
三人の妻 池本 真人 - Webプロデューサー(2013/08/29 10:31)