堀江 健一(恋愛恐怖症・心の問題カウンセラー)- コラム「思い出のマーニー2 人を信じるには、まず自分を信じること」 - 専門家プロファイル

堀江 健一
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思い出のマーニー2 人を信じるには、まず自分を信じること

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恋愛心理 自己受容 2014-09-03 09:35

現実の世界でも「裏切り」や「表面だけの親切」というものはあるわけですから、もうこれ以上「裏切られて」傷つきたくないと、まだ幼い無垢な心が望んでも無理も無い話です。


善意だけの人と言うのも、いなくはないでしょうが、少ないものです。


ましてや子供と言うものは基本「善意」とか「悪意」という概念はなく、ただ思った事を言ってしまったり、やってしまうものですから、大変残酷なこともやってしまうわけです。


深く心が傷ついてしまっている人にとって、子供は脅威となります。

子供が苦手と言う人は、そんな「子供を恐れる」気持ちもあるのかも知れません。

あるいは自分が幼い時に、「大人である事を強いられ、無邪気な子供ではいられなかった」ようなタイプの大人がおられます。

そんな方は「自分は、そんな良くも悪くも無邪気に振舞えないので、無邪気な子供に合わせることが苦手」と感じてしまうかも知れません。


そして杏奈は、自分が傷つきたくなくて、ひねくれた態度をとって、おばさんに距離を空けてしまう事が、またおばさんを傷つけてしまっている事を知っているのでしょう。

だからそんな「人を傷つけてしまっている自分」のことを嫌悪しているのではないかと思います。辛いですね。


うちの姪っ子は「思い出のマーニー」を見終わっても何も感想も言いませんし、まるで途中で飽きてしまったかのようでした。

実際、風景描写は大変美しいものの、子供が喜びそうな「面白い場面」があるような映画ではありませんでした。

ですから、本当に面白く感じなかったのかも知れません。



ところで、その姪っ子は、まだ赤ちゃんの時に、両親が離婚し、今はシングルマザーの義妹と暮らしています。

どうやら家では、「お父さん」がいない事は「当たり前」のこととなっており、おじいちゃんや私や、近所の男性たちがお父さん代わりを勤めており、あまり本人もお父さんがいない事をどう思っているのか語られる事は無いようです。


「誰にでも両親がいて、両親の愛情に育まれて育つのが普通の事」


一般的にはそんな家庭が当たり前かも知れません。

しかし、離婚を始めとして、死別、虐待、育児放棄など、それが当たり前ではない家庭も多くあるのが現実です。


そして、そんな当たり前のことと比較して、自分が当たり前ではなかったとしたら、それは「辛いこと」として受け止めてしまうのが人情でしょう。


しかし、姪っ子の心の内は誰にもわからないので想像でしかないのですが、もし、そんな「当たり前」の家庭に生れ育っていなかったとしても、それが「当たり前」ではないんだという認識がなければ、本人にとっては、

「当たり前じゃない事が、当たり前」

になっているわけですから、姪っ子には「お父さんに見捨てられた」と言うような気持ちはないのかも知れません。

少なくとも今の時点では。

「私は、普通じゃない」「私の家庭は普通じゃない」

と言う思いが、その人の「生きずらさ」を増幅させてしまう場合が多いように思います。
「普通は、こうであるだろうに、なぜ自分だけが普通じゃないんだ!」
と感じることは、他人と自分を比べてしまう事になるでしょう。
それは、自己否定になってしまいます。


実際、姪っ子はすくすくと育っています。ややアレルギー症状や喘息などあるのは、どこかしら「寂しい」気持ちがあったりするせいかも知れないと思う事はあるものの、困っている友達を助け、屈託無く人と仲良くする能力を発揮しているようです。


「両親が揃っていて、両親が子供に愛情を注ぐ事」は大切かも知れませんが、それはその条件があるのが当たり前であるという「文化」があり、その文化に反した時、「自分は親から愛されなかった」と比較して考えてしまうことで、心が傷ついてしまうだけで、実際は両親が揃っていないからと言って子供が健康に育たないわけではないだろうということです。


何が言いたいのかと言うと、例え親に充分に愛される事がなかったとしても、本人の「気持ちの持ちよう次第」で、自分で自分に価値を見出し、自分が望む人生を送れるだろうということです。


もし、親の愛情を、満足に受ける事ができなかったとしても、周囲の人々からの愛情や、恋人の愛情を受けることができる可能性は充分にあるはずです。


「思い出のマーニー」では、マーニーが、悪意無く、仕方なく杏奈を裏切ってしまうエピソードが最後に描かれます。

マーニーは許しを乞い、杏奈は「悲しみ」を抱えながらもそれを許します。
マーニーのことが大好きで、心からマーニーのことを信じることが出来たからでしょう。
「マーニーも私の事が大好きに違いない」と。


マーニーを許した時、きっと杏奈は

「自分より先に逝ってしまった両親」を許し、

「お金をもらっていたおばさん」を許し、

そんな「おばさんを傷つけていた自分」を許し、

人を受け入れ、自分を受け入れることが出来るようになったのでしょう。


だからこそ、最後の「あのセリフ」を言う事ができたのだと思います。




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