対象:子供の教育・受験
回答:1件
岡松 高史
家庭教師
3
暗記する力 = 学力 という考え方は、過去のもの。
かつては、暗記する力 = 学力 あるいは、ほぼ「=」ととらえられていたのは事実です。
また、現在でも、暗記する力が全く不要となったわけではないのも事実です。「そんなことも知らないの。それじゃあ話にならないよ」ということはなくなったわけではありません。
しかし、これだけパソコンが普及し、スマートフォンが「携帯電話」の域を脱し、かつてのパソコンの能力を凌駕するようになった今(古くからパソコンを使っていた私からすると、その能力も価格も想像だにしなかったレベルです)、「何かを覚えていること」だけで学力が高い、優秀であるとは言えなく(あるいは、言われなく)なってきているのも事実です。
単に「~とはどういうことか」という問いに即答できる。あるいは、どこかの誰かのようにコピペをくり返して論文を仕上げるなどということでは、世の人々からの好評価得られない時代です(コピペしたかどうかすら、すぐに確認できます)。
今後、ウェラブル端末が普及すれば、人々は更に手軽に素早く「~とはどういうことか『情報』」を手に入れられるようになるでしょう。
現に、「~とはどういうことか『情報』」は問いの中で明らかにされており、それを前提として、そのことを知っているだけでは答えられない問いが出題されたり、情報検索ツールを持ちこむことを前提として行われる試験すら登場しています。
もちろん、「その道」の人であれば知っていて当然ということがらや情報を、いちいちその場で検索しているようでは(そういった人も、まま見受けられますが)、「そんなことを今更調べるてるの」と思われ評価されないのは当然ですが、では知っていればよいかといえば、単に「知っている」というだけでは評価されないのも事実です。
かつては、どのようにしたら求める情報にたどり着けるのか、それを知っている、たとえば、どの書籍、どの事典を当たればよいか、どんな書籍、事典があるかを知っているだけでも評価された時代(「~という本を読んで見たまえ」「~事典を引いてみると手がかりが得られるよ」「~さんに会ってごらん」なんてアドバイスができるだけですごいと言われた時代)もありましたが、今や人々はそんなアドバイスはスキップして、そのような識者のアドバイスにたよらず、みずから情報を検索できるようになりました。
質問者の方がおっしゃるように「暗記する力はあっても困るものではない」のは事実ですが、知っているだけではもはや評価はされないという前提で、「事に臨む必要」があります。
情報と情報を組みあわせる、情報にプラスアルファの知見を加えて新たな情報とするなど、「情報検索端末を所持しているだけでは発信できない何か」を既知の情報に付与することのできる力、創造力、得られた情報の真偽を見極める判断力などを備える必要が出てきていると思います。
繰り返しになりますが、「そんなの知っていて当然でしょ」ということを、いちいちスマホやタブレット、パソコンをいじって検索するのは格好悪く、多分質問者の方もそのレベルの知識についておっしゃっているのではないと思いますが、じゃあ、いろいろ知っているだけではそういった「何かと器機に頼る検索族」に勝てないのも事実です。
質問者の方が「革新的な暗記術が考案されて普及した場合」とおっしゃっていらっしゃいますが、私(今年で56歳になります)が子どもの頃は、少年誌に「この方法を使えば(この器械を購入すれば)何でもたちどころに覚えられる」という広告がよく載っていましたが、最近はそのような広告を見かけなくなったのも、私の考えを裏付けるひとつの証だと思います。
そういった時代の要請に応えることができる子どもたち、青年たちを育てていけるよう、軋んだ頭に潤滑油を注しつつ(っていう表現自体「機械=歯車で動く」という認識を表す比喩ですよね。新しいプログラムにバージョンアップしつつ、と表現すればいいかな)、日々子どもたち青年たちと接する日々です。
評価・お礼
鹿煎餅さん
2016/03/21 19:43遅くなってすみません、ご回答ありがとうございました!
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