音楽という魔法
わたしは練習なんてしたことがないわ。
いつだって演奏してるのよ。
~ワンダ・ランドフスカ(ポーランドのチェンバロ奏者)~
僕の好きな楽器にチェンバロがあります。まあ、ある意味ではピアノの前身。
仕組みはちょっと違って、ピアノは打楽器ですけど、チェンバロは撥弦楽器。
この音色に魅入られたのは大学一年の頃かな。
心の琴線というものがあるとすればこの楽器の醸し出す音色そのものをさすと思った。
この言葉の意味はとても深い。
実際に演奏家として43年を過ごしてきたけど、いつもこの言葉に助けられているし、時には、恐れを感じさせる言葉だと思う。
ステージの上で、心が十分に開ききった時に、始めて、観客の方々と一体化できる。
観客の方々の心が自由に僕の心の中を行き来し始める瞬間こそ、歌い手冥利につきる時。
歌い手にとって、自分の心を洗いざらい見せてしまう事はとても勇気がいることだ。
でもそれができなくては、音楽家として失格。
見せつくしたとしても、だれも入ってこないようならば、自分自身に魅力がないと諦めるしかない。
引導をわたされたも同然だ。
自宅での「練習」も、それと同じ事。音楽の練習なんかじゃなく、心の開き方の「練習」。
音楽ってこわくって実に興味深いと、今でも思い続けている。
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