- 宮本 ゆかり
- マイウェイネットワーク
- ビジネススキル講師
対象:ビジネススキル
いわんとするところは、タイトル「言葉で表現できない核心部分がある」のとおりです。
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春秋時代、斉の国主が、堂の上で書物を読んでいた。
堂の下では、車大工が車輪を作っていた。
この車大工、急に何を思ったのか、国主に向かって
「恐れ入りますが、殿様がお読みになっておられるのは、どなたの言葉ですか?」
と訊ねた。
国主は書物から目をそらし、
「聖人の言葉だ」
「その聖人は今でも生きているんですか?」
国主は呆れた。
これだから無知な人間は困る、と侮辱の色を目にだして
「聖人は、すでに死んでいる」と教えてやった。
すると車大工は、
「それなら殿様のお読みになっているのは、古人のカスですな」と言った。
怒った国主は
「この書物の言葉が、カスである理由を申せ。その申し分に、わしが納得しなければ、おまえの命はないものと思え」と言った。
「わたしは車大工ですから、車輪作りで考えみたのです」
車輪を作る時、木の削り方がゆるやかだと、はめ込みがゆるすぎてうまくいかない。
では木の削りが速ければ、今度はきつくてうまくはめ込めない。
ゆるやかでなく、速く木を削る秘訣は、まず手ごたえというものがあり、
その手ごたえに心がこたえるわけである。
「言葉では、そのコツをとても説明できません」
という。
「だから、コツというものは、子供にさえ教えることはできず、むろん子供も親から受け継ぐことができない。
そういうわけで、私は七十にもなって今なお車輪を作っているのです。
私と同じように、昔の聖人は、言葉では伝えられない秘めた真理と共に死んでいったにちがいない。
ですから、殿様のお読みになっているのは、やはりカスです」
と、車大工は言った。
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ここまで。
うーん・・・たしかに、「手ごたえ」というものは、字のごとく、「手で感じとる」ものであって、
言葉で伝承していくのは難しいのかもしれません。