Japan is so weird. Or is it me? Chapter1(日本語バージョン) - 外国生活 - 専門家プロファイル

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大澤 眞知子
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閲覧数順 2024年05月04日更新

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Japan is so weird. Or is it me? Chapter1(日本語バージョン)

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  1. 人生・ライフスタイル
  2. 海外留学・外国文化
  3. 外国生活
Story (Robert McMillan)

カナダ大学留学に備え真剣に準備する日本の高校生、コロナで打ち砕かれた高校留学からの復活を目指す日本の高校生のためのSupport Group-カナダクラブ 

その貴重なパートナーであり、本物の英語スキルを学びたい日本人のためのサイト UX English Administrator でもあるRobert McMillan が語るストーリー”Japan is so weird. Or is it me?”

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クリティカルシンキングの国カナダから日本にやって来た若者が出会った変てこ日本ストーリー
クリティカルシンキング不在の不思議の国日本から、カナダに向かう日本人のために
カナダで出会う180度真逆カルチャーショックへのワクチンとして贈ります(英語バージョンはこちら

Chapter1  

到着 

日本に着いたのは1989年4月4日、ワーキングホリデービザだけを手。お金はなし。日本最初の夜は成田空港の床。なぜか何もないのっぺらぼうのような床で寝袋にくるまった。どんな計画で日本に来たかって?1)英語を教える仕事を見つける 2)6ヶ月。。。いや1年かも。。滞在 3)アジアを旅する 4)カナダに帰る。 

27年後、4番までたどり着いた。 

What happened? 

記憶を巻き戻す:脳が喜ぶ仕事をみつけたから。教材を企画デザインする面白みたっぷりの仕事 – 英語エッセイの書き方、クリティカルシンキング、コンピューターサイエンス – そして、かなり頭のいい子供たちを教えること。生徒たちが心踊らせて学べる限り自由に自分のアイディアを使える仕事。だから、6ヶ月ではなくて長い長い間日本に留まることになった。 

Sure,簡単な仕事ではなかったけど、働くのは得意。 

Flashback:家族経営の小さなスポーツショップのレジ係として働き始めたのが11歳。背が低すぎてレジに届かず、コカコーラの木枠の上に立っていた。11歳頃の記憶では働いてる自分しか思い出せない。Charles Dickensの本に出てくる工場労働する子供みたい。 

でも、6ヶ月のつもりが27年間も留まってしまったのは、日本が想像を絶するほど変テコだったからかも。毎日毎日新しい事、えぇっと、あの、奇怪な – いや待って;you guys はイカの内臓(塩辛)食べるよね?「教える」という漢字の右側の「攵」は『右手でボクっと子供を叩く』ことって本当? 

年月が経つにつれ、イカの内臓も食べれるようになったけど生徒を教える時には「攵」なんてとんでもない。僕の教材を使い教えていた学校にはたった2つの規則しかなかったから。ひとつは暴力は何であれ絶対ダメ: 1)他の生徒が学ぶ機会を妨げない(暴力はこの極端な例)そして、2)もしアルコール類を教室に持って来るなら必ず先生にもお裾分けすること。 

生徒は誰も2番の規則を利用しなかった、unfortunately。


1989年4月4日、成田空港で一人ぼっちで寝袋にくるまっていると、ぽっちゃりした眼鏡の警備員に捕まった。“Get up! Follow me!” 仕事に必要だから覚えたかなと思える英語で追い立てられた。 

緑色の寝袋を急いでクルクル巻いて小脇に抱え – カナダのロッキー山脈キャンプで-25度に耐えた寝袋 – 警備員に従った。まさか逆らうわけにはいかなかった。だけど、これで一巻の終わり? 日本初日に警備員に捕まって終わり? 「到着前に強制送還かぁ」と考えた。パスポートに押されたビザスタンプのインクもまだ乾いてないのに。(悲しい音楽が流れる) 

警備員は、僕が折角見つけたた暗くて静かなホールを出て、明るくガヤガヤした場所に歩いた。人がそこかしこにいる。色んな色と形の人が。みんな強制送還? “There!”警備員はホールの先を指差して命令した。 

目の前にはぎゅう詰め状態で東南アジア人がベンチに座っていた。僕もその中にぎゅうぎゅう入った。僕が座った瞬間、東南アジア人たちはピタと話を止め「何やお前」みたいな目つきで僕をチラチラ見。みんなが順番に。 

“Ha ha, no!” 僕の警備員、いやガイドかな、が笑い声をあげ“Over there!”。 ホールのもっと先を指差した所はに別のグループが。いわば僕と似たグループ – 白人。 

その夜は、安いタイの売春婦との楽しみにはまっているイスラエル人と、そのイスラエル人にそんな楽しみは間違っていて不道徳で罪深いんだと言い聞かせているデンマーク人の間にはさまって寝た。そうしている間に希望がわいてきた。強制送還されるのではないんだとちょっとづつ気がついてきたから。 

27年。 

今、日本での人生を振り返りまとめてみようとしている。けど、母国カナダから27年間も離れていたので、普通のレンズを通して思い出すのは無理。 

今、カナダに戻り、日本からやって来る留学生がこの国の現実に立ち往生するのを助けている – 生活の仕方、教育制度、隠れた危険などの現実。自分で持ってきた寝袋にくるまったまま出られなくなった頭のいい日本の子供を探している。空港の床で目を覚まし、生涯忘れることが出来ないほど不浄な臭いの中で目を覚まさなくてもいいように。カナダで助けてあげたいと。 

僕の真上のベンチでペタンと寝ているのは、どぶネズミ色スーツの日本人。靴を脱いで、足をベンチの端からブラブラさせている。僕の頭のすぐ上にその足がある。


東京

 

ワーキングホリデービザでやって来た日本。最初の夜は成田空港の床、スリーピングバッグにくるまって何とか寝た。警備員に「こっちこっち」と連れて行かれ、所狭しと寝ていた外国人の間で。僕と同じように他に行き場のない外国人と。 

次の朝、成田空港で寝た仲間たちはトイレの洗面所の前にがやがや集まっていた。順番に歯磨きと、顔を洗って、あ、そうそう、脇の下をこすって洗っているのもいた。みんな同じく、ちょっと臭うシワシワの洋服を脱いで、それをスーツケースにしまって。それから、臭いのしない、新しい洋服をポイッと着た。スーツケースの中でシワシワになっていた洋服を。 

トイレの鏡からこっちを見ている自分 – 熟睡出来なかった証拠の血走った眼と青白い顔の自分。でも、それだけじゃない。周りの外国人みんなの眼に見えるひもじさは何?いや、僕だけかも。この変テコな新しい国で成功したいという渇望か。お腹のひもじさもある。空港を出て街にたどり着くまでは、朝ごはんは我慢するしかないかな。ここの朝ごはんは高価すぎ。 

そして、東京行きのバスに乗った。 

4月初めの東京にはひとつの形容しかなかった。灰色。空から降る霧雨は灰色、建物も灰色にそびえ建つ。地面はアスファルト色、灰色。人も灰色の洋服で周りに共感しているようだった。 

もし東京自体がひとつの生態系としたら、灰色は保護色。灰色になって、周りに溶け込んで、食べられないようにする。何か今にも食べられてしまいそうな気がした。 

東京だ。 

東京に着いたのは1989年で、その当時の東京の人口は約3千2百万人だった。当時、僕の国カナダの総人口は2千7百万人。カナダの僕の故郷の町の人口は3,400人足らず。 

東京には僕の町の10,000倍の人がいる、そして僕には誰も知ってる人はいない。 

カナダの故郷、大平原の小さな町では、みんな知り合い。道で会った人には誰でも”Hi"と声をかける。みんな知り合いというのもあるけど、ま、とりあえず誰にでも”Hi"を言う。多分知ってる人だし、”Hi"を言わずに失礼なやつだと思われたくないから。

どこかでバスを降りて、代々木まで電車に乗った。地図では代々木が一番緑が多そうだったから。今ではみんなのポケットに入ってる一台1,000ドルもするパーソナルGPS・グーグル・マップなんてない時代だった。そんな時代には方向感覚が絶対必要。迷ったらどうするかって?可愛い女の子が気づいて寄って来るまで、駅の路線図を見つめるふりをする。その子に方角を聞けるから。本当に女の子が近づいて来たよ、そして方角を聞けたよ。スマホのせいで無くしてしまった社会経験て実は多いね。損してるよ、みんな。

本当に可愛い女の子が近づいて来て、僕が方角聞いて、その女の子はなんと親切なことにユースホステルまで案内してくれた。チェックインを済ませ、カバンを部屋において(そのカバンの中身が僕のすべて)そしてバスの中で入念にたてたプランに沿って行動することにした。最初の日は、一日かけてこの国に自分を順応させること。周りから学べる事は学ぶ。次の日は仕事探しを始める。 

でも、どうやって東京に順応するの? 

僕にとっては、東京は街ではなかった。東京は川。その中に自分を投げ込んで、後は泳ぐ。「流れに沿って」行くのは簡単。他の人たちと同じ方向に行けばいいだけ。「流れに逆らって」行くのはかなり難しかったので、すぐ諦めた。ま、とりあえず東京でどうしても見なくていけないものなどはなかったから。東京を感じたかっただけ。匂ってみたかっただけ。だから、みんなが進む方向にただついて行った。 

どこでどう間違ったのか、ひどく迷子になった。仕方ないのでまた駅の地図をみつめるふりが出来るところを探した。わかるよね、この意味。どうやらその時は渋谷にいたらしい。渋谷のスクランブル交差点には、僕の町全部の人口がいた。でも、もちろん、みんな知らない人。 

この人たちはみんな、人間の流れる川の中に本当に入っていたいのかな。東京はこの人たちに「良い」生活を用意してくれたのかな。空は見えない。空の見えない所でどうやって生きていけるのかな。

人の群れの中を数時間「泳いだ」あと、泊まるのに選んだ場所が代々木だったことが嬉しくなった。僕の人生すべてで出会ったよりもっと多い人の群れの中を「泳いだ」あとでは、妙に疲れたから。代々木にや 公園がある。ホステルの近くの公園に帰りつき、満開の桜の下でベンチに座った。「タイミング絶妙!」と思った。 

座って観察した。空も見つめた。今は薄い水っぽい灰色をしている。形がなく動きもない。桜の花を見つめた。薄い水っぽい桃色。そよ風を受け、頼りなげにヒラヒラしていた。

東京の人々のことを考えた。渋谷も見たし。そこで正反対のシナリオを考えはじめた。想像してみよう。東京の子供が、いや日本のどんな街の子供でもいい、僕の故郷の町に来たとしよう。故郷の町には学校はふたつしかない。信号はひとつだけ。昼休みには閉まっているけど警察のオフィスもひとつある。東京の子供たちはどこで買い物するかな? コンビニはあるけど、びっくりするほど大きな甘すぎる飲み物と、故障中のトイレと、何度も温め直したフライドチキンの目が痛くなる臭い。ショッピングモールなんてないよ。映画館もない。みんなが知り合いで、しかも小さな時からの知り合い。「3年生の時だったよね。。。」が普段の会話のきっかけ。 

さて早送り。最近、若い日本人がカナダの僕の町に留学にやって来るようになった。その日本の若い子はどうやって友達を作ってるんだろう、週末は何をしてるんだろう? カナダの小さな小さな町で。

 

また、代々木のベンチに逆戻り。砂利に落ちていた桜の花びらを拾って、親指と人差し指でこすってみた。透けるほど薄い膜みたいだ。匂いは余りないけど、桃色が生っぽい。傷の跡みたい。


桜の花は綺麗すぎて痛々しい。気まぐれそうにも見える。不安定。「見て見て!もう散るよ!明日にはもう咲いてないよ!」すべては移ろいの途中。ふいにカラスが大声で叫び、辺りの空気がひび割れた。


黒い影が動く方に目をやった。その影はゴミ箱から弁当箱を引きずり出し、くちばしでもぎ取るように蓋を開け、残り物の丸まったご飯とトンカツの塊にむしゃぶりついた。食べ終えるまでずっと見て続け、飛び去った時「元気でね」と心の中で声をかけた、カラスに。 

ひとりでベンチに座り、満開の桜を目の前に見ていた。このベンチはそのためにここに置かれているんだろうなと。でも、僕はまっすぐ前の桜を見ず、身体をねじって、カラスが弁当の残りをブリキのゴミ箱から盗むのを見つめていた。カラスに励まされた気分。よし、今日も東京には食われないぞ。 

目の前に広がる公園の芝生や灌木や木々の向こうには、東京という名の怪獣みたいな灰色の川。その光景を見、音を聞いた。そして、本能的に感じた。ここからとっとと出ていかなくちゃ。でも、どこへ?


代々木ユースホステルでは、スリランカ人1人とアメリカ人2人と相部屋だった。 

スリランカ人は若く教育もあり、頭脳明晰な話し方が出来る人。エンジニアの学位を持っており、レベルの高い英語を使う。でも、肉体労働の仕事を探していた。 

アメリカ人の2人は若い旅行者で、部屋は散らかし放題。汚れた服、しゃぶり尽くしたKFCチキンの骨が入ったバケツ、しわしわに丸めたマックバーガーの包み紙が散らばる部屋。起きているのが珍しいほどいつも寝ている。でも、やっと起きた時には、僕やスリランカ人のタオルを勝手に使い、べちゃべちゃに濡れ丸めたままハンガーにかけておく。 

世界はおかしい。スリランカから来た教育レベルの高い人より、こんなアメリカ人でも、白人ならはるかに有利なように傾いてる。この傾きをもっともっと真っ直ぐにするべき。でも、僕にもこの不公平な傾きの恩恵があったことを、後日発見することになった。

ワーキングホリデーセンターまで電車に乗った。どこにあったかもう覚えてないけど、池袋かな、多分。センターの壁には一面に、求人や賃貸アパートのちらしがヒラヒラと貼り付けられていた。これはいいニュース。仕事を見つけられそう。 

給料もすごくいい。時給¥3,000以上の仕事がたくさん。中には時給¥5,000や¥6,000のも!主な資格要件は:英語母国語で大学学位を持っていること。それだけ。 

えらくニッチな条件を付けている求人もある:イギリス人、女性、30歳未満。わぉ、これ許されるの?僕の国・カナダではこんな求人を出すと訴えられるのに。1980年のこの時代でもカナダの求人条件には厳しい制限があったのに。ま、「郷に入っては」と、考えることにしよう。仕事にありつければ今はそれでいい。 

僕の資格に見合う仕事を見つけた。たくさん。そうしたら、急に気持ちが軽くなり、肩からすっと力が抜けていった。生存出来るか?と緊張していた脳も、最高アラームレベルからひとつだけ目盛りを下げたような気分。僕のストレスは相当なレベルだったに違いない。向こう見ずもいいとこだった。見知らぬ外国に飛び込み、仕事を見つけるなんて。 

数学的に言うと、文無しというわけではなかった。ゼロではない。マイナス。北アメリカの大多数の若者と同じく、大学で使った学生ローン返済で溺死寸前だった。それが僕の国の文化・伝統。教育は自分で稼いで払うもの。カナダ政府はかなり気前のいい学生ローンプログラムを用意している。若者には教育を受けてほしいから。でも。結局返済しなくてはいけないことには変わりない。30歳未満のイギリス人女性になったら仕事があるかな。 

次に、賃貸アパートのちらしを見てみた。ワーキングホリデーセンターの壁に、巨大化した蛾みたいに張り付いているちらし。どこに住もうかな? 見ていくうちに、気持ちがひるむくらい難しいことがわかった。 

アパートのリストを指で追って行くと、大きな2つのトレンドに気がついた。権利金や敷金が必要なこと、そして2部屋のアパートに5人の外国人と同居すること。もちろん、トイレやお風呂はみんなと共同。 

権利金?敷金?礼金?それ何? センターで仕事を探していた人に聞いてみた。陽気に教えてくれた。日本を少し知っている外国人は、僕のような新米に自分の知識をひけらかすのが楽しいみたいに、とても好意的に。でも、説明は理解出来なかったから、「あぁ、保証金のこと?」と聞いてみた。 

「違う。」が答え。「そのお金は戻ってこないよ。家主の懐に入る。」 

僕の目はど〜んと飛び出したと思う、絶対。口もしばらく開いたままだったと思う。そんな選択肢は問題外。家主にわけのわからない、しかも戻って来ないお金を払うなんて。 

巨大化した蛾を念入りにひとつひとつ見ていった。四国の田舎からの求人を見つけた。週5日勤務、時給¥3,000、他の外国人と相部屋だけどアパート付き。地図を見るのが大好きなので日本の地理を調べ、四国がどこにあるかは知っていた。日本の田舎はカナダの田舎者の僕にはぴったり。 

すぐさまそこに電話した。朗らかな男性が返答した。5分もしゃべったかな、面接のため四国までの飛行機代を払ってくれることになった。即決、行くことにした。なるようになるさ。 

ワーキングホリデーセンターを出たら、東京はずいぶん違って見えた。ずっと軽快で、気軽な東京に見えた。さぁ、これで周りをじっくり見る余裕が出来た。仕事も住む所もありそうだ。前しか見えないよう目隠しされた競走馬みたいに、必死でA地点からB地点まで突進する必要もなくなった。新宿にも行こうかなぁ。もし、今回の仕事がダメなら、また東京に戻ってきて違う蛾を探すことにしたらいいし。 

それに、僕は救いようもないくらい冒険好き。お金もない、いやゼロよりマイナスのお金しかないけど、四国に行きたくてウズウズして来た。 

その日の午後は前の日と同じ、東京をウロウロし、適当に電車に乗り、新しい国に慣れていった。そして、とても大事なことも忘れなかった。別に迷ったわけではないけど、可愛い女性に道を聞いてみた。

楽しそうに聞こえる?いや、自分をごまかすのは嫌だから言うけど、キツかった。すごく大きな賭けをしてしまったから。ま、最後の頼みの綱は残しておいたけど。もし仕事が見つからなかったら、しっぽを巻いた犬みたいにスゴスゴとカナダに戻る。11歳の時から働いて来た小さなファミリービジネスに舞い戻る。心理的には悲惨以外の何者でもないけど、生きながらえることは可能。新しく出来たスリランカの友達と比べてみるとよくわかる。彼には求人や賃貸のチラシがたくさん貼ってあるワーホリセンターもない。もしあのスリランカの友達に仕事が見つからなかったらどうするんだろう。 

その夜ホステルに戻るとスリランカ人は戻っていた。アメリカ人は外出中。僕のタオルはクロゼットの中で水をポタポタしたたらせていた。開けたままの僕のスーツケースの中に。

日本はそんなに変テコ、それとも僕? 

〈続く〉


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