堀江 健一(恋愛恐怖症・心の問題カウンセラー)- コラム「チア☆ダン4 人を好きになる不安と義務感でする婚活の葛藤」 - 専門家プロファイル

堀江 健一
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ホリエ ケンイチ
( 東京都 / 恋愛恐怖症・心の問題カウンセラー )
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チア☆ダン4 人を好きになる不安と義務感でする婚活の葛藤

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恋愛心理 自己受容 2019-03-11 14:06

この所テレビドラマ「海月姫」「チア☆ダン」を題材にして、
「自分がやりたい事・欲求」を見つけて、やって見ることが非常に大切なことであり、
でもそれを見つけるのはなかなか難しいものだと言う事をずっと書いています。


前回はマズロー博士の欲求階層説を基に
①生理的欲求
②安全の欲求
③愛と所属の欲求
④承認と自尊の欲求
⑤真・善・美・独自性・自立・完全性などに対する自己実現欲求
とか基本的な人の欲求について考えてみました。
①がより基本的な欲求(下位の欲求)で、段階的に満たされていくと次第に⑤の欲求へレベルアップしていくという説です。



今回はまた特に恋愛や結婚に関連付けて「やりたいことを見つけて、それをやって見る」ことの大切さを考えてみたいと思います。


恋愛の悩みとしては「恋愛がしたい」と言う内容が多いのですが、もう少し掘り下げて見ると
一般的には「好きな人が出来て、その人と恋人になりたい。どうすればなれるのか?」と言うシンプルな相談が多いものかと思います。


その悩みに対して「こうすればモテるようになる」と言うアドバイスは、マスコミの記事や恋愛マニュアル本などにも
書いてあったりします。

私が実際にお会いするご相談者の方の欲求(悩み)として多いのも「恋愛がしたい」です。
けれど、「好きな人もなかなか出来なくて、恋愛関係になれない」と言う悩みが多く、一般的な恋愛相談とは少し内容が違ってきます。

私の問題の捉え方が一般的な恋愛相談と違うからかも知れません。

なぜ恋人が欲しいのですか?恋愛したいのですか?

とお聞きしてみると
「この歳だとみんな恋人がいたり、結婚したりしている。だから自分だけ恋人もいないのは人として劣っているように見えて嫌だから」
みたいな方も多くおられるものです。
婚活で焦りを覚える方のほとんどはそのような方が多いのではないでしょうか?

それを更に細かく解釈すると
●「人と同じように恋愛したり結婚することで安心したい」

と言う周りとの同調意識からの承認欲求や安心欲求や欲求から発している方がおられるようです。

●「人として人から愛されたり、人を愛せる人になりたい」と言う成長欲求の方向性の人もおられます。


どちらが良い悪いと言う次元の話ではないのですが、
「人と同じでいたい」と言うお気持ちの方は「人と同じでなければいけない」
「人より秀でたい」と言う感じの方は「人より優れなくてはいけない」
と言う意識やあるいは無意識的な観念が根底にあり、義務感や責務感がお強く、早く自分もそうならなければと言う焦りや強迫観念も強くなって焦ってしまわれる傾向があるように感じます。
マズローで言えば④承認の欲求に近いもののように思います。

「人として人から愛されたり、人を愛せる人になりたい」と言う方は、

比較的主体的に自分が人として向上するための目標として受け止めており、

修行のようなものでだんだん愛せるようになれて、愛されるようになりたいとロングタームで考えられる余裕があるように感じます。
マズローで言えば⑤自己実現の欲求に近いもののように思います。

しかしマズローで言えば人を愛したり愛されたりしたいと言うのは本来③愛と所属の欲求である様に思うのですが、
そこをすっ飛ばしてしまっている様に感じ、なんだかつじつまが合わない矛盾があるように思えます。


なんかちょっと不自然なような。


「恋とはするものじゃなく、堕ちるもの」と言う言葉がありますが、好きになろうと思って好きなるものじゃなくて
自然と好きになるのが素朴で自然な恋愛感情の様な気がしますが、
問題の一つに、どうもその自然な感情が何らかの理由で阻害されてしまっているように思います。


実際に多いパターンとして、周りの友人や親せきが結婚し出したりしてその結婚式に参列して、

自分も急に「恋人作って結婚したい」と強烈に思う様になる方の話を良く聞きます。

周りのお友達たちにも恋人がいなかったり、結婚しないならば、それはそれでみんなと同じだから安心していられたかも知れません。

そして誰とお付き合いするかに関しても、
本能的な、自然な感情として自分が好意を感じる人と付き合いたいと言う気持より
どこか「親や友人(つまり世間)からみて「好条件な人」と付き合いたいと言うような基準で恋人を探してしまっている

ことがあるように感じます。
そしてその世間から見た好条件と言うのが「高収入」であったり「高学歴」であったり、「高身長」であったりするのです。

自分の価値観や好きとか嫌いとかの感覚が確立出来ている人であれば、自分の価値観で自分本位に人を好きになることも出来るのですが、
ずっと親の価値観等に従って来て、自分の価値観が充分確立が出来ていないと、
いざ恋人候補になるかも知れない人が眼の前に現れても、

その人を好きとか嫌いとか自分の感情を感じる前に、

「世間の価値観と基準があっているかどうか?」と言う事ばかりを査定してしまう事になります。


言い方を変えると自分の価値観で「人を好きなる」感覚が育っておらず鈍くなっており、「好き」と感じられなくなってしまっていることがあるのではないでしょうか?
小学生や中学生でも「成績が良い」「身長が高い」「顔がイケメンである」「スポーツが出来る」などの条件が良い人がモテるものですが、

すでにそんな子供のころから色々な世間的な価値観の刷り込みがされており、好条件の人を素適と思い、好きだと
思ってしまうように操作されてしまっているのです。


そう思うと「人を好きになる」って、本当はどんな感情なのかわからなくなってしまいませんかねぇ?

「親の引いたレールの上を走る」と言う言葉もありますが、学校選びの進路にしたって、就職先にしたってかなり親の価値観に従って選んで来た人が多いのではないでしょうか?


観るテレビ、習い事や部活動、付き合う友人の選択、趣味、恋人の選択、、、様々な場面で親はある程度口を出して来るものです。
幼い頃は仕方ないでしょう。


でも、何か一つでも親の価値観に左右されずに、

「自分が好きだから、したいと思うからした事」

ってありましたか?


もちろんした!と思える人も多いことでしょうが、もしほとんど「親の引いたレール以外の道を走ったことが無い人」だったら、
婚活する以前に、

「まずはやりたい事を見つけて、やってみる」ことによって、自分の自然な欲求を取り戻すことが先決なのではないでしょうか?


失われている②安全の欲求や③の愛と所属の欲求の段階に立ち返り、見直してやり直すのが必要ではないですか?


自分のやりたい事をやっても良いのだと安心して思えて実行出来る基礎作りが必要ではないでしょうか?


そこでやっと「自分が自分本位に人を好だと思える感覚」も育てなおしが出来るのではありませんか?


と言うのが私の主張です。

 



親の価値観に縛られると言う事は親に依存してしまう事と同義語です。
自分の自由で、自分本位にやりたい事をやると言うのは、自己責任でありますが、成功しても失敗しても本来誰かから
責められるようなことではありません。

自由なものです。
極端な言い方ですが「失敗するのも自由」なのです。

間違えたってまたトライすれば良いのです。


しかし、人への依存心が強い(人の価値観に縛られると言う意味で)は、失敗すると怒られる、責められる。

だから失敗したらどうしようと言う不安も強くなってしまいます。


「この人を好きなってお付き合いする事になったとして、もしあまり私を幸せにしてくれる様な人じゃなくて失敗したらどうしよう」
と言う様な不安が強くて、なかなか自然な恋愛感情も湧いてこないのではないでしょうか?


また、好きになっても相手に好かれなかったらどうしようと言う不安もあることでしょう。
でもこれは単に自分が傷付くのが怖いと言うだけの話では無かったりします。
言葉で表現すると

「もしこんな人から好かれない様な人に育ってしまったいたとしたら、親に申し訳ない」
と、まだ現実になっていないことにまで罪悪感を抱いてしまう方がおられます。無意識的にでもですが。


人を好きになって付き合う事に対して、何と言う切羽詰まった重圧がかかってしまっていることでしょう。
もう少し親離れして、親から自由になっても良いのではないでしょうか?





婚活に於いて「結婚するのに恋愛感情は必要ない」と割り切って捉えて活動しておられる方もいるようです。
それだけ割り切っていれば、条件に合うスペックが良い人に出会えることもあるかも知れません。


ところが親の価値観、世間的な価値観として「好きな人と結ばれるのが幸せ」と言う価値観もありますので、
その価値観にここでも従い
「好きだ」と感じられる人との出会いを求めて、
好きと感じない人とお付き合いするのも良くないと思ってしまい、
とりあえず「付き合って見る」ことも出来なくて、
実際条件は良いのにピンと来なくて交際にまで発展しないと言うことも多くの人にあるようです。


良い子ほど親の期待に添おうとしてしまうものです。

親がそこまで言っていない事まで感じ取って従順に従おうとしてしまう事があります。
親も別に「親の許しも得ないで、勝手に人を好きになってはいけません!」とまでは言っていないのでしょうが、
自由に人を好きになる自由さえ封印して来てしまったようなタイプの方がおられるものです。
そのような人にとっては、親から急に「好きな人を見つけて早く結婚しろ」と理不尽に言われている様に感じて、
婚活自体、義務感でしている感覚に陥ってしまうこともあるようです。
義務感で婚活続けるって厳しいですよ。
婚活自体が苦行の様に厳しい戦場みたいな世界だったりするのですから。

焦っているので、「どうすれば相手に好かれるか?」「どうすれば恋人が出来るか?」と言う目先の方法論や技術論
を求めてしまいがちになってしまうのですが、


本当に必要なのはエステに通ったりお料理を習ったりするすることばかりではなく、親や世間の価値観から自由になり
自分オリジナルの価値観を構築して行く事なのではないだろうかと思います。


それを一言で表現すれば「自分のやりたい事を見つけて、やって見る事」です。

 



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