対象:心と体の不調
いつごろからなのかわからないのですが、耐えられないものがいくつかあって困っています。
高校に入学したころに、クラス別で校歌の合唱があったのですが、この校歌は女子でも出しにくい(らしい)高音域があり、その部分からみんなが音を下げて歌うんです。私はソプラノが得意なので、音を下げないと歌えないことが理解できず、また途中から音程を下げられることに耐えられなくて気分が悪くなり、我慢していると過呼吸になりました。
腐った不協和音の中にいて、どうして他の人は平気でいられるのかわからないんです。親に相談しても、そんなわがままを言っていたら変な目で見られるから我慢しろと怒られるし、先生も「みんなはそれくらい気にしないから」と言います。
合唱だけでなく、街中でバンドを組んで歌っている人も、元曲とずれている音に耐えられません。
下手くそなピアノも殺気を覚えるほどイライラします。
歌だけでなく、トラウマのある人や嫌いな人の声を聴き続けていると過呼吸になります。
幼児の鳴き声を聞くと、殴り飛ばしてでも泣き止ませるべきだと思います。
大声を聞くと、殴られると思ってしまい、身動きがとれなくなります。
背の高い人も、殴られそうで怖いです。
なぜそう思うのでしょうか。私がおかしいのでしょうか…。
補足
2012/05/03 14:56幼いころから、泣くと父親に怒鳴られ、殴られてでも泣き止まされていました。泣き止もうと涙を止めていると、拗ねるなとまた怒られていました。
些細なことでも殴り倒されました。
父親が怒鳴れば泣き止まなければいけないのに、それでますます泣き出すいとこが信じられなくて苛立ちました。
だから、子供の鳴き声や背の高い人・大声が苦手なのかな…とは思うのですが…。
めぐるさん ( 岡山県 / 女性 / 17歳 )
回答:2件
快眠コーディネイター 力田 正明
快眠コーディネイター
152
決して、めぐるさんがおかしいのではありません!
はじめまして。心理・睡眠カウンセラーの力田正明です。
両親や先生に相談しても、めぐるさんの辛さをわかってもらえず、苛立ちや不安感を感じているのですね。さぞかし、自分に起こる出来事による感情を、周りに理解してもらえず、自分の中で抱え込まれて、我慢されている状況と理解しています。
1.めぐるさんはおかしくないと思われます、まず、ここまでがんばってきた自分を、「よくがんばったね。」とほめてあげてください。私からも、「よくがんばったね、めぐるさん!」
2.すべての不快な感情の原因は、幼い頃の、お父様からの過剰なしつけにあると思われます。それが、イライラ感や耐えられない感情などを引き起こします。 「トラウマに近い、度を越えた過剰なストレスとしての心の傷」が、不快な感情を引き起こしている可能性が高いです。自分が感じている不快感は、おそらく、幼少時に、お父様から受けた感情を、相手に投影している状態と思われます。
これは、決しておかしなことでなく、自分を守るために、心が働く防衛機制なんです。
言い換えると、
「めぐるさんが不安や不快な感情を抱いたときに、それらを減少させるために、それらの感情の原因を、自分の内部ではなく、外部の人にむける行動」と言えます。
まず、いま抑圧している幼児期の気持ちのかたまりを、ほぐさなければなりません。
そこで、私からの提案ですが、学校の保健室の先生に相談をしてみることは可能ですか?
まずは、保健室の先生に、今までの辛い気持ちを伝えてください。今の状況では、第三者の心理の専門家の介入が必要だと思います。
今の環境では、自分で起こってくる感情を変えることは、難しいと思われるので、回りの人の力を借りてください。
めぐるさんは、1人ではありません。最初は勇気がいるかもしれませんが、自分を大切にしてください。 他の人の力を借りましょう。
この回答が、すこしでも、めぐるさんの霧の中の1点の光になれば、うれしいです。
評価・お礼
めぐるさん
2012/05/07 19:23保健室の先生にも言ってみましたが、あまりあてになりそうにありませんでした…。
担任や学校の先生は、すぐに親に筒抜けになるので信用できません。
不協和音が気になってしまうのも、親が関係するのでしょうか?
幼いころに抑えていた感情が、幼児や背の高い人への苛立ちあるいは恐怖につながっているとわかり、少し安心しました。父親は絶対に自分の非を認めないでしょうが、内心で見下せる材料ができました。
回答、ありがとうございます。
牧野 俊浩
音楽家
-
どれだけ奪っても、決して怒られることのない世界へのご招待
めぐるさんこんにちは。
始めまして、僕は岡山県の生まれの音楽家です。母の故郷が当時の岡山県赤磐郡瀬戸町でしたので、そこで初めて呼吸をしました。
人生の紆余曲折を巡りながら、43年間歌い手として仕事をしてきました。
ご縁かなと思い、少しお話をさせてください。
17歳の方には少しまどろっこしい提案になりますが、お許しください。
「すべての人間は、その場にあるエネルギーを独占したいと願う生き物です」
具体的にいうならば、人間のコミュニケーションというのは所詮、その場にあるエネルギーの奪い合いです。上手なコミュニケーションの本質は、「相手を傷つけずに、自分自身を肯定している姿」です。
このバランスというのは極めて微妙なものです。
めぐるさんも想像をしてみてください。
例えば、数人で話をしているときに、ある一人の仲間が自分の考えばかりを述べようとして、他の仲間が喋り始めても、その関連で、あるいは無理やりにこじつけてでも、自分の意見を述べようとするとします。
めぐるさんは、その方にどのような印象をもちますか。
多分「強引な人だな」と思ってしまうでしょう。
でも、この姿は一番素朴なコミュニケーションの形なのです。
決して悪い事ではありません。その場のエネルギーを独占したいという、人間の欲望がそのまま現れているだけですから。
勿論、そのままで良いわけではありません。
顰蹙をかうまえに、品格を、人格を研いて行かなければなりません。
それが人生です。
私は現在でも演奏活動を続けていますが、その傍ら、「声みがき術」というVoicetraining方法を提唱しています。その中で盛んに言っているのが、自分研きということです。
声の出し方を学ぶ事は、自分自身を内観してゆくことです。身体を地図のようにみたてて、自分の声の響く場所を丁寧に丁寧に観察をしてゆきます。そのプロセスで、実に優しい気持ちが湧きあがってくることを体験していただいています。これが自分研きの入り口にたつということです。コミュニケーションの意味をもういちど考え直す機会です。
もういちど言いますが、「人間はそもそも、その場にあるエネルギーを独占したいという生き物」です。
もう少し補足をしておきますね。
補足
めぐるさんが所属をしている「場」のエネルギーを誰かが奪おうとしているのなら、逆に「どうぞ」と差し上げてしまってください。そのほうが気が楽になります。
また、もしかすると、めぐるさんが「奪う立場」になることもあります。
その時には、少し研いた自分で対応することができれば、トラブルはぐっと解消できます。
几帳面すぎる事は、返って自分自身をきずつけてしまいますよ。
タイトルの「どれだけ奪っても、決して怒られることのない世界」というのは、「自分の呼吸法を研く事で、別の自分を発見する」ということです。
詳しくはまたお問い合わせください。
歌うという事も実は、そこにエネルギーの場を出現さす事です。
そこにあるエネルギーを、歌い手自信が独占しているのでは、決して観客は満足しないものなのです。長年の歌手活動の中で学んだ、私の哲学です。
評価・お礼
めぐるさん
2012/05/07 19:24難しすぎて、私にはよく理解できませんでした;
我慢しろ…ということでしょうか?
牧野 俊浩
2012/05/08 12:01めぐるさんへ
ご返信有難うございました。
決して難しい事ではありません。
世の中には「コミュニケーション」する場が沢山あります。
その場の特性を理解してゆくために、まず自分を研く事です。
自分みがき=自分を客観視する=声みがきという図式です。
静かな場所での深い呼吸から始めてみてはいかがでしょうか。
自分を見つめる、もう一人の自分に出会えるはずです。
最近読んだ本のなかで「メンタリズム」という言葉にであいました。
ご興味があればご参照ください。
「人の心を自由に操る技術」著者:DaiGo
少しエキセントリックなタイトルですが、読み方で、自分の心の操作方法を理解する
ヒントになるかも知れません。
(現在のポイント:18pt)
このQ&Aに類似したQ&A