- 中舎 重之
- 建築家
対象:老後・セカンドライフ
首都圏の地盤
首都の地盤の悪さは、地震活動の激しさと同じように世界有数である。
国際都市としての東京が、比較をしたがるニューヨークでは、約5億年前に出来た
岩盤の上に、マンハッタンの超高層ビル群が建てられています。
東京の高層ビル群が建つ環状線がある関東平野は約2万年前以降の地盤です。
地質学的には、とても新しい地盤で、海や川に堆積した砂や泥で形成されています。
首都:東京の地形を西から俯瞰して見ます。西部は標高2000m級の関東山地、
200~60mの丘陵地(阿須山、狭山、加住、多摩丘陵)、
60~20mの武蔵野台地、20m以下の下町低地の四つに大別できます。
関東山地の話は略します。丘陵地の基盤は、第三紀層(6500~165万年前)
から成っており、その上を厚いローム層が覆っています。
武蔵野台地は、洪積世(165~1万年前)のローム層が厚く堆積しており、
関東大震災においても、被害が少なかった地域です。
下町低地は沖積層(1万年前~現在)にあり、過去の地震でも最も大きな被害を
繰り返し受けて来ました。
下町低地の話です。
成因は、最終氷期(2万年前)に海面が、現在より120mも低下し、
古利根川、 元荒川の河口は現在の三浦水道附近まで下がっていました。
早い話が、東京湾が全部干上がって、陸上であった思って下さい。
この時に古利根川、元荒川の削った谷の幅は、お茶の水から市川付近迄の様です。
神田川の削った谷の幅は、水道橋から飯田橋の間であったとの事です。
石神井川、目黒川、渋谷川、野川などによって樹枝状の谷が造られました。
その後、縄文海進(約6000~3000年前)によって海面は上昇して、
現在の海面より5~6mは高くなりました。
海は、埼玉県の奥地(川越、幸手、下妻、土浦附近)にまで入り込んで、
奥東京湾が造られました。
その後の弥生海退(約3000年前以降)によって、
海の水が引き現在の海面に なりました。
そして、陸化した所が沖積平野であり、下町低地なのです。
徳川家康の江戸幕府の開府が1603年です。
以降、現在に至るまで東京湾を ひたすら埋め立てて、土地を開発し続けてきました。
東日本大震災の3.11では、千葉県浦安市が液状化により、
都市としての機能を 「喪失」しました。
その面積は市域の四分の三と云われています。
これが、海を埋め立てた人工による土地の姿です。
液状化を起こした土地は、次の地震でも同じように液状化を起こします。
液状化を起こす土地には、地盤の淺い所に水が豊富にある事が条件ですので、
此の条件が変わらない限り、現象は繰り返し起きるのです。
液状化対策の話です。
50年前の新潟地震において、鉄筋コンクリート造(RC造)の4階建ての
県営アパートが横倒しになり有名になりましたが、
倒れる事なく安全を確保した 建物が5棟ありました。
倒れなかった理由は、5棟とも地下室を持っていた事です。
地下室が液状化現象に有効である事を示しています。
古い建物の新潟県庁が、殆ど無被害であった事も知られています。
耐震設計の先達:内藤多仲先生の設計が当時のRC造の規定を、
遥かに凌駕して いた事も事実ですが、建物の外壁の外側に、
もう一つの拡がりのある基礎を造って いた事です。
ハカマというか、スカートと云うか適切な表現がありませんが、
液状化で建物が、倒れないようにしていた事です。
これも有効だった様です。
液状化とは別に、此の「沖積平野」には、地震にすこぶる弱い理由があります。
軟弱地盤の存在です。軟弱地盤については、項目を改めて記述する予定です。
国土交通省が定めている規準には、軟弱地盤に建設する建物は、
規定の耐力を 1.5倍にして設計するように定めています。
但し、地方の各自治体では、軟弱地盤を指定していませんので、
規定は有名無実 の状態です。
最後に、過去の地震で大きな震害を受けた「沖積層の地」を記します。
・泥炭層をはさむ谷底低地:
90年前の関東大震災時では、神田川流域、赤坂溜池。
・旧河川道:
関東大震災時では、古利根川と元荒川流域。
2015.3.31 中舎重之 Fax:046-263-9324
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