堀江 健一(恋愛恐怖症・心の問題カウンセラー)- コラム「Dr.倫太郎 3 本当に辛い想いは、人に話せなかったりする」 - 専門家プロファイル

堀江 健一
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ホリエ ケンイチ
( 東京都 / 恋愛恐怖症・心の問題カウンセラー )
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Dr.倫太郎 3 本当に辛い想いは、人に話せなかったりする

- good

恋愛心理 自己受容 2015-06-25 00:10

Dr.倫太郎、最終回を迎えてしまいました。

やや駆け足で諸々のことが丸く治まってしまった感はありますが、ツボを押さえた感動場面の波状攻撃で、観終わった後の余韻に浸れます。

倫太郎先生が医師を止める覚悟までして夢乃/アキラと向き合い、愛そうとしたその姿勢に、天使と悪魔の様に心が2つに分断していた彼女の人格が、一つに統合されました。

統合されたがゆえに、このまま倫太郎先生に医者を止めさせてしまう事は出来ないと思った夢乃/アキラは、先生との恋愛をあきらめる決断をします。

その、別れのシーン。


無音の中、先生に背を向けてこちらに歩いてくる時の夢乃/アキラの切ない悲しみの表情。

後に取り残された1人たたずむ先生が、やがてカメラのピントがずれ、ぼやけて行く姿。

背景の、どこまでも青く澄んだような青空と、風にゆれる大木の葉々。


大変印象に残る、名シーンだったと思います。



心の問題というテーマでは、「Dr.倫太郎」は、その裏番組である「心がポキッとね」が比較されやすいようですが、私的にはむしろ「天使と悪魔-未解決事件匿名交渉課-」方が、深い所で似たテーマを描いていたドラマであったように感じています。

それはまた別の機会にでも書いてみたいと思います。






さて、私も、心療の枠組みに当てはまらないまま、介入(治療者として関係を持つこと)せざるを得なかったあるクライエントさんがいました。

心療の枠組みでは無いので、正確にはクライエントと呼ぶこともできません。



それは、私がまだ公立中学校の心の相談員をしていたころの話です。

相談員になって早々に担任の先生から、「不安定な中1の女の子がいるので、放課後、面倒を見てやってくれないだろうか?」と頼まれました。

そして、そのMさんは早速、お友達の女の子を伴って、相談室にやって来ました。

私にとって、最初のクライエントさんです。

相談室は、1対1でカウンセリングを行う個室と、誰が来ても良いように、広い相談室とに分かれており、広い部屋には本や漫画、パズル、将棋、ボールなどの遊具が置かれていましたので、広い部屋の方でくつろいでもらうことにしました。

Mさんは、当初ほとんど会話らしい会話が出来ない状態でした。

いきなり「何か悩みがあるの?」と切り出す雰囲気でもないので、世間話をして打ち解けようと試みましたが、その世間話でさえ成り立たないのです。

例えば
「おうちは、何人家族なの?」
なんて聞いても、答えないか、もしくは
「オッパッピー」
などと意味不明な返答をして、笑うだけです。


正直どこか知能に欠陥があるのではないかと疑ったくらいです。

言語化が難しいと思ったので、何かしら気持ちの発散をしてもらおうと、バレーボールを持ち出し、お供の女の子と一緒にミニドッジボールのようなことをして過ごしました。

毎週、私がいる時に、彼女は通い続けてくれました。

少しづつ打ち解けてくれるようにはなりましたが、相変わらずあまり会話は成り立たないため、彼女がどんなことで悩んだり、家庭の事情がどうなっているのかは、まったくわからないままです。


ですから、悩みの相談など一切することなく、それでもラポール(お互いに信頼できる関係性)ができ、専門的には「遊戯療法」と呼ぶカウンセリングは続いたのです。


それは、彼女が中2の終わりまで続きましたが、中3になる時、私の任期が終わることになってしまいました。

今日が最後と言う日、心細そうな彼女に、
ただ「さようなら。がんばって」
で終わらすのが心もとなかった私は、携帯の電話番号を書いたメモを渡し、「何かあったら電話しておいで」と伝えました。


自分のカウンセリングルームを持っていなかったので、引き続きカウンセリングを引き受けるすべが無かったからです。

そうした意味では、Mさんと私は「治療同盟」を結べない状況になったわけです。

もちろん私は、Mさんに逆転移していたわけではありませんし、ましてや恋愛感情を持ったいたわけでもありません。

Mさんのご家族に連絡を取り、カウンセリングなどによる心のケアの必要性を説明しても良かったのかも知れません。

でも家庭環境も、彼女の心情がどうかもろくに知らないままの私には、とりあえず見守る関係を切ってしまわない事しかできませんでした。


しばらくは何の連絡もありませんでしたが、何ヶ月かして彼女から電話が入るようになります。

でも電話でも会話が成り立ちません。
何か話しかけてもほとんど黙ったままですから、ある程度私が一人で語りかけ、短い電話が終わります。
それでも、そんなことが何度か続き、少しずつ学校での様子など話せるようになって来ました。

そんなある日、「家のそばの駅まで来て欲しい。会って欲しい」と頼まれました。

やや迷ったものの、初めて自分の要求を言葉に出して私に伝えて来たものですから、ここで断る選択はせず、会う約束をして、その約束の日に出かけました。

しかし、待ち合わせの駅の改札に彼女の姿はありません。

何となく「会えないかもなぁ」という予感はあったので、仕方ないかとも思いながら、駅前周辺を見渡すと、遠くの方に彼女の姿が見えます。

「おーい」と声を掛けると、走って逃げていってしまいます。

学校の相談室で会っていた時でさえ、面と向かって話せないのですから、外で、2人で会うというのは、だいぶ勇気がいることだったでしょう。

逃げてしまうのも無理はないかと思います。その日はそのまま、会えずに帰りました。



やがて、彼女は中学を卒業し、専門学校に入学しましたが、そのような、呼び出されては出かけ、会えずに引き返すと言う事が何度か続くことになります。

さすがにある日怒りました。「時間を割いて片道90分も時間を掛けて来ているのに、いいかげんにしなさい」と。


すると、彼女も現実的に考えたのでしょう、策を練ってきました。

一緒に同伴してくれる友達を連れてくることにしたのです。

その友達のおかげもあり、やっと外で会えることが出来ました。

でも、ほとんど恥かしいいのか会話は出来ません。

治療者とクライエントという「枠組み」のないまま、「友達」として私も彼女と関わる事しかできませんでしたが、時にはいつも見守っている事を伝え、時には身近な出来事に対し励ましたりして、会話らしい会話も交わせるようになっていきました。


やがて専門学校を卒業し、卒業式には私も出席しました。


そんな折、私は、今の奥さんと結婚する事が決まり、その事を彼女に告げると、大きく動揺したようです。

カウンセリング用語で言えば、Mさんは、私に「陽性転移」を起こしており、早い話が恋愛感情に近いものを抱いていたのでしょう。

一時的に電話の回数も増え、恋人とデート中にも、電話がかかってくる事も度々ありました。
もちろんそれは偶然ですが。

すると恋人は恋人で、「頻繁に電話してくるのは、一体誰なの?!」といぶかしく思うのも無理ありません。
詳しくは話せないけど、事情を話しました。

しかし恋人も、そんな事情を話してもなかなか傍からは理解はしてもらえません。

「わけわかんない。なにその女の子?あなたも仕事でもないのに、なんでそんな若い子と関わってんの?何か(恋愛感情でも)あるんじゃないの?」
と詰め寄られ、四苦八苦してしまうことも度々あり、内心では大いに困ったものです。

しかし、そんな嵐も過ぎ、私は無事結婚し、Mさんも成人します。

そして、ようやくその頃です。彼女が自分の家庭環境や、どんなことで悩んだり、辛いと思っていたかを話してくれるようになったのは。
年齢的にも20歳になり、成熟もしていたからでしょう。
話せるようになったのです。


簡単に言うと、彼女のお母さんは、小学校の高学年の時、お父さん以外の人と不倫し、
それが元で離婚し、
それ以来会うことも、話をすることも無く別れ別れになってしまったそうです。
(あくまで、そうした一連の流れは、彼女がお父さんに聞いたものでしかないようで、お母さん側の事情は正確にはわかりません)

そのことで、「お母さんは、私を捨てて出て行った。私は見捨てられた子」として辛い思いを抱えていたそうです。


実に初めて会ってから7年あまりも経ってから、彼女の事情がやっとわかったのです。





今では彼女も27歳。

結婚し、最近まで不妊治療を行い、その不安な気持ちを支えたりしながら、この夏やっと出産予定日を迎える直前までこぎつけました。




このエピソードで、私が伝えたいのは

本人にとって、あまりに辛い出来事は、人には話せないこともある。

悩み事や、辛い気持ちなど話せなくても、思いやりを持って関係を築くことが出来れば、それが治療的、成長的な効果をもたらす事が可能である。



よくカウンセリングと言うと、悩みについて直接的な話をしたり、辛い過去の背景を分析する事で、解決して行くと言うイメージが強いかも知れませんが、実は極端な話、一見ただの雑談のような話でも、クライエントさんの心の変容につながるものです。


ただし、それは本人が「こんな事を他人のこの人に話して良いのかな?変な人とか、否定されたりしないかな?」とか心配せずに、
思ったこと、感じたことをありのまま表現できるような信頼関係の上で成り立つものです。


治療者も相手と意見が違ったら、正直に自分の意見は言いますが、否定はしません。「あなたはそう感じるんだね」とただ受け入れます。

そうしたニュートラルな人間関係を通して、1人で問題を抱えていたクライエントさんは、1人でも立ち上がる事ができるようになっていくものです。

辛いことや深刻な事を、いくら相手がカウンセラーだとは言え、初対面の人間ですから、話し辛いこともあるでしょう。

そんな時は、話さなくても良いのです。

ただ、心情的に「今はまだ話せない理由がある」とだけは、教えておいていただけると助かります。
ラ・ポールがまったく成り立っていなのではないかと心配になるからです。

話してくれなければ、わからないから、解決しようもないという方針のカウンセラーさんもおられるかと思いますが、私の場合は、もっと気軽に
雑談でもいいから、会いに来て頂きたいと思っています。



ドラマのアキラはもちろん、倫太郎先生でさえ、過去から抱き続けた「お母さんにまるわる」辛い想いは、最終回を迎えるまで、口に出せないでいました。



クライエントさんが「すごく良くなって来ました!」とおっしゃっていただく事もあるのですが、
実は治療者自身、「なんであの人、良くなったんだろう?」と良くわからなかったりすることも多いものです。


それだけ、心理療法・人との関わり・人の心と言うのは、理屈通りには行かないものなのですね。
続く

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