- 池本 真人
- Div Design Webサイトの一級建築士
- 東京都
- Webプロデューサー
周利槃特が得た悟りと真の神
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仏教を学んでいると最初の内は難しくて理解出来ないところがあります。
特に内容が深くなればなるほど、今までの常識というものが邪魔してわかりにくいこともあるんですね。
そんな時に落ち込んで諦めてしまう方もいらっしゃるのですが…。
聡明なブッダでも6年かかったものを、1回聴いただけで全てを理解しようとするのは無理な話しなんです。
ブッダの弟子の中に摩訶槃特(まかはんどく)と、周利槃特(しゅりはんどく)という兄弟がおりました。
弟の周利槃特は自分の名前も忘れてしまうくらい物忘れがひどかったのですが、摩訶槃特は何度か仏法を覚えさせようと努力して教えようとします。
ところが、どうしても仏法を覚えることが出来ません。
そこで今度は智慧第一と言われる舎利弗(しゃりほつ)が、あらゆる手を使って教えたのですが、それでも周利槃特は要領を得ません。
とうとう兄の摩訶槃特が呆れてしまい、
「お前のような馬鹿は教団の恥だ!袈裟を脱いで俗人になってしまえ!」
と、弟の周利槃特を罵りました。
周利槃特はとても悲しみ泣きながらブッダのいる祇園精舎の前まで行き、門の前まで着いたものの、中に入るのをためらっていました。
そこに出てきたのがブッダ本人でした。
「どうした?目が腫れているではないか。」
「入門して一年も経つのに仏法の一句さえ覚えることが出来ません。そんな私にしびれを切らした兄に『俗人になれ』と叱られたのです。」
「そうか、そんなに心配することはない。何も私はお前の兄に教えられて悟りを開いたわけではない。お前は私の弟子なのだよ。さあ、こちらに来なさい。」
そう言ってブッダは自分の居室に案内し、はたきを手渡します。
「それは『はたき』というものだ。」
「はた?」
「はたき…である。」
「き…?」
「き…ではなく、はたき…である。」
そんなやり取りを何度か繰り返した後、ようやく周利槃特は「はたき」と一度に言えるようになります。
「そうだそうだ。言えたではないか。」
ブッダはまるで自分のことのように喜びました。
それからというもの、周利槃特ははたきを手放さず、「はたき。はたき。」と繰り返しながら掃除を続けていました。
そんなある日のこと。
「『はたき』というのは、『ほこりはらい』と言ってもいいんだな。『ほこり』とは汚れたもののことだ。『はらい』とは綺麗にすることだ。そうだ!世尊が言っていたのはこれだ!ほこりとは迷いのこと。はらいとは迷いを取ることだ!自分の心にある汚れたものを取り除いて清浄な心になることだ!」
周利槃特は今まで生きてきて初めて心に光が射しこんだような気がしたのです。
急に心が明るくなり、とても素晴らしい心境を味わった周利槃特は、喜んでブッダの元へと駆けていきます。
「世尊がよく仰っていた『ほこりを取れ』ということがわかりました!ほこりとは執着のことではないでしょうか?そして執着を取るのは智慧ということなのですよね?智慧によって執着を取ると心が明るくなります。その時初めて生きた神を見る。そうでしょう?」
「そうだそうだ!その通りだぞ!その智慧によってのみ真の神を見ることが出来るのだ。智慧以外の道で神を見ることは出来ないのだぞ。」
ブッダの答えを聴いた周利槃特より、ブッダの方が嬉しそうな顔をしていました。
どんな人間にも仏性があり悟りを開くことが出来るという信念は、誰よりもブッダ自身が強く持っていたものだったんですね。
要領が良かったり、知識が多いことが人間として優れているわけではありません。
何が愚かで何が賢いということなのか…。
真の賢さや真の神というものがどこにあるのか…。
周利槃特が徹底して一つのことを行って悟りを得たように、一つ一つ積み重ねていって大きな学びを深めていきたいものですね。
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