真理へ到達する道
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以前、盲目の信仰は危険だけれども信仰は大切だということを記事に書きました。
【理性と信仰】
私は「これが唯一の真理だから他を信じるな!」というような話が嫌いです。
私が仏教を学んでいて「これは真理だ!」と初めて感じたことがありますが、だからといって、他の全てのことを否定しているわけではありません。
実際、真理へ到達する道はいろいろあると思います。
ただ、私がいろいろ学んできた中で、真理だと思ったのは仏教が初めてです。
でも仏教だけが素晴らしいとも思っていません。
他の宗教なども含めて、様々な学びの中に良い教えがあると思いますが、危険なのは、「これが全てだ!」と他を排斥してしまうような考え方です。
熱心な信仰者ほど、こうなりやすいのだと思います。
だから私は何を学んでもいいと思っているんです。
私は今、気功を学んでおりますが、別にレイキをやってもいいわけです。
キリスト教の信者がイスラム教を学んでもいいと思うんです。
自分以外の者は全て師というくらいの気持ちでいいんですよね。
こういう話をすると、「それじゃあ自分の芯が出来ないでしょう?」
と言われる方もいるのですが、他の良いところも学んで自分の芯を強くしていけばいいだけの話しなんです。
元々、仏教は神を立てない宗教なので何を学んでもいいはずなのですが、宗派というものが出来てしまったばっかりに、自分の考えに固執してしまうようなことになります。
宗教の神様というものも、元は同じで一つのものなんです。
ただ、枝分かれしているだけで幹は一本なんです。
手の指が「私こそが最高で唯一のものだ!」と言ったらおかしな話しですよね。
万教一体だとわかれば、宗派の壁が無くなり他の教えの美点も見えてきます。
それと同じように、真理は一つであっても到達するまでの道のりが違うだけです。
どう学んでいっても真理まで到達すればいいわけです。
ですが、人は思い込みが強いものなので、あれが真理だと月を指さされても、指先しか見なかったりしてしまうんですね。
また、実際に真理が見えていたとしても、それは一つの角度から見えているだけなのかもしれません。
富士山が見る角度によって姿形が変わるように、富士山の本当の姿を見るには、様々な方向から見ないとわからないんですね。
大切なのは、自分の思い込みで固執してしまわないようにすることです。
真理を見るためには、まず自分の捉われから解放されなければいけません。
それがなかなか簡単にはいかないことなのですが…。
真理が見えた時、同時に神の存在にも気付くのだと思います♪
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