「真剣に聴いてあげているつもりなんですが・・・・ついつい頭の中で考えが巡ってくるんです。」
昨日のコラムでは、スタッフの話を真剣に聴く態度をスタッフから絶賛されている店長の話を紹介しました。でも、実はこの店長も、つい1年前、店長代理の時は、相手の話を集中して聴けずに、上司から「ちゃんと人の話を聴きなさい」と注意されていたのです。
そんな彼が、何故、スタッフから絶賛されるような「聴き上手」になれたのでしょうか。
それには、彼の上司が彼に指導したひと言が大きなキッカケになっているのです。
1年前、「もっと人の話を集中して聴け」と注意された彼は、冒頭の様に答えました。
それに対して上司が言った言葉は、彼に「聴くときの気持ち」を考えさせることになる言葉でした。
「店長、『聴いてあげる』ではありません。『聴く』です。『聴いてあげる』という気持ちでは、真剣に聴くことは出来ませんよ。」
「聴いてあげる」と「聴く」
さて、何が違うのでしょうか?
上司として部下の話を聴いてあげる。
友人として仲間の悩みを聴いてあげる。
妻として夫の愚痴を聴いてあげる。
親として子供の不満を聴いてあげる。
責任者としてお客様の苦情を聴いてあげる。
さてどうでしょう?ちょっと意識が上の方にありませんか?
私たちは、相手の話を聴くときに「少し優位な気持ち」になることがあるのです。
「さあ、聴いてあげますよ。だから何でも話して下さいね。」
と、言っていると、まるで同じ目線に合わせているような言い方ですが、意識は、やや上からなのです。
上からですと、聴きながら相手の話を「評価」してしまいます。
自分が話し事を聴き手に「評価」されるのならば、「何でも話したい」という気持ちには決してなることはありませんよね。
では、冒頭の店長が、どうやって「聴いてあげる」から「聴く」に気持ちを切り替えたのかについてですが、答えは簡単です。「自分が相手の話を評価する必要が無いこと」「自分の意見は求められてはいないこと」を自覚しただけなのです。「評価」や「意見」は、あくまでも相手が望んでから考えれば良いのです。真剣に聴いていれば、話し終わってからそれを求められても、充分に考えをまとめることは出来るのです。何も心配は要りません。
私たちは、自分で勝手に「相手に意見を言わねばならない」と決めてしまっています。たとえ、言う必要があったとしても、全部聴いておけば、それからいくらでも考えることは出来るのです。しかし、「考えを伝える」事を先に考えてしまうと、「聴いている最中にも考えてしまう」のです。これでは聴くことは出来ませんし、姿勢として「じゃあ、聴いてあげましょう」という高い位置に立ってしまうのです。
「聴いてあげる」のではなく「聴く」・・・・・だから「最後まで聴ける」「真剣に聴ける」のです。
さて、あなたが相手の話を聴くとき、どんな気持ちで聴いていますか?
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