軽蔑と尊敬の心
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人の心は移ろいやすいもので、様々な働きをもたらしますが、その中でも容易に傾きやすいのが軽蔑心というものです。
自分を成長させようと学びを深めていったが故に、そこまで到達していない周囲を見て見下すような心を持ってしまうのは、もしかしたら誰しもが一度は陥ってしまうものなのかもしれません。
軽蔑心というのは、人間を荒ませます。
宗教を学んだ人が「全ての者は兄弟だ。」と言っていたのに、いざ戦争となれば、侮辱の言葉を投げかけるようなこともあるのは周知の事実です。
今現在、中国や韓国との国境争いなどもありますが、お互い相手の環境に生まれれば同じようになることは、少し考えたら容易に理解出来ることではないかと思います。
過去の争いの歴史は、いかに人間の奥深くに軽蔑心というものが根強くあるのかを物語っています。
イエスやブッダは、どんな迫害を受けても怒りに身を任せることは無かった。
これは、一切の人々を心から尊いと拝む心があったからです。
どうして聖人と呼ばれる人達が、こういうことが出来るかと言うと、自分にも他人にも同じ尊さを見ていたからに他ならないのではないでしょうか。
人間というものは、自分に対する見方と同様に相手を見ます。
誰かを軽蔑するというのは、実は自分自身を軽蔑しているのです。
自分なんて…という卑屈な気持ちが軽蔑心を生み出します。
誰かを軽蔑することで自分の中に卑屈な心が生まれてきます。
故に自分を尊敬するようになれば、他人も尊敬するようになるはずです。
その反対に、他人を尊敬するように意識して努力していくと、自らのことも尊敬出来るようになっていくものなんです。
誰かを救う者は自分を救い、自分を救うものは誰かを救います。
一切の現象は心の影という原理から、誰かを嫌なヤツと思う心は、自分の人相すらも嫌な感じに変えていきます。
心に浮かんだことは潜在意識に刻まれていくので、その出来事が終わった後も、自分の中には醜い顔が残っていってしまうんですね。
だからこそ、良い環境にいるということが大切になってきます。
ブッダが「良い友達ほど大切なものはなく、悪い友達は毒蛇のようなものだ。」と仰ったのは、環境の大切さを伝えられているんです。
目の前に起こることの全ては自分の心の影です。
あなたが普段、心に思っていることが現象として現れてきているだけで、一切の出来事には本来、綺麗も汚いも無いんです。
聖地に聖者が住むわけではなく、聖者が住む所が聖地になっていくのです。
自他を尊び蔑まない。
常に意識して、良い環境を作っていきたいものですね(^_-)-☆
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