幼い頃からの確執が表面化しています。
幼い頃から言葉の虐待を受けてきました。
法律関係の父は、子供の私を無能力者、ポルポトの様にあほが大きな顔をしている、禁治産者と変わらない、だから自分が保護してやっているんだ、と言われ育ちました。
私は意味が解りかねましたが、がんじがらめに管理をしたがり、毎日心が休まることがなく私は高校生の15にして初めて癲癇を起こして倒れて、頭痛や欝などを発症し学校を休みがちになりました
すると、父は養護学校に入れないといけないと母に詰め寄り、母はかばってくれましたが、とうとう遺伝からではない種類のがんになってしまい、私が17のとき他界しました。
母が一時帰宅したときに、私たち子供のために、何かしら料理を作ってやりたいと台所に立つと、父は信じられないような大きな声で「寝とけというてるだろ!聞こえんか!こらあ!」と激しく母を責めている姿が忘れられません。
また、葬儀の中で私の頭がおかしいんだと、親族の前でひそひそといっているのを聞いていました。
ただ唯一の味方である母をなくした怒りで、それ以来かかわらないように生きてきました。
しかし祖父母は私を愛してくれ、父と仲が悪い事をとても悲しむので、出来るだけ田舎には一緒に帰っていました。
その祖父が病気になり、母の二の舞はしないように、最善の方法であたりたいと考えました。
医師に家族に傍にいてほしい(混乱があるため)といわれたので仕事をやめ、泊り込みで看病しましたが、医療費は父が払う為冒涜されながら、看病するのがかなり辛くなり、現在祖父はかわいそうですが、付き添いを辞め一週間がたちます。
また、父のせいでひとつの命が、しぼむようになくなる事を思うといたたまれません。
私は、父の態度ものみこみ祖父の為に動くべきか、祖父の葬儀も含めて一切縁を切るか悩んでいます。
怒りのランボーさん ( 大阪府 / 女性 / 32歳 )
回答:1件
長江 信和
心理カウンセラー
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【記憶と現在】
怒りのランボーさん、こんにちは。ご相談から2週間ほど過ぎてしまいましたが、現在の状況は、いかがでしょうか?
幼い頃からのご苦労を乗り越えて、今まで強く生きてこられたのですね。唯一の味方であったお母さんを亡くされた後、心休まらない、孤独な家庭環境のなかで、必死に生き抜いてこられたのでしょう。成長するにつれて、過去の仕打ちの意味がわかりはじめ、つらい記憶に悩まされることも多かったでしょう。
それでもなお、人を信じ、愛する力をお持ちであるのは、素晴らしいと思います。お世話になったお祖父さんに、お仕事を辞めてまで、献身的な看病をなさいましたね。大変なご覚悟だったと思います。無力に感じられた子ども時代と比べて、ずいぶんと思い通りのことができるようになったのではないでしょうか?
怒りのランボーさんは、今のところ最善の方法をとられているように思います。無理をされる必要はないのではないでしょうか?その一方で、将来、悔いの残らない対応をしたい、というお気持ちも大切にしていただきたいと思います。お父さんは、記憶にある強大なお父さんではありません。ランボーさんが成長される一方で、お父さんの力は日々衰えていきます。
(現在のポイント:-pt)
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