自分の芯は他人のために!
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「自分の芯は曲げない!」というような話を聴いたことはありませんか?
自分の芯ということは、自分の考え方を通すということとは別です。
誰かのために…ということではなく、無理問答を通そうとするのは自分の芯を作っているのではなく、ただ自我を大きくしているだけなのだと思います。
自己の考え方が強すぎると争いの元にもなってくるわけです。
資本主義が良くて共産主義が悪い、キリスト教が良くてイスラム教が悪いなどと、その逆もまた同じですが、一方の考え方に偏ることを偏見というんですね。
自分の思いが強いと目の前のことは真っ直ぐ見られないから、妄想が湧いてきて実現出来ないと腹を立てたり、不安や恐怖を感じたりします。
このことを顛倒夢想と言います。
顛倒夢想を説明する際にわかりやすいのが蛇縄麻(だじょうま)の例えです。
山道を歩いている時に縄の切れ端が横たわっているのを見て、「蛇だ!」とビックリしたものの、よく見たら縄だと安心したとします。
昼間、明るく視界が広い時には何でもないのですが、少し暗くなった夕暮れ時に山道を歩いているとありのままが見えません。
ですが、縄が真実かというとそうではなく、縄というものは麻に人間が手を加えて縄になったものなんですね。
最初から蛇が出るんじゃないかと思い込んでいた恐怖心から、縄が蛇に見えてしまうんです。
初めから怖いと思わなければ縄に見え、さらによく見ると麻であることがわかります。
「幽霊の 正体みたり 枯尾花」
というように、妄想からススキが幽霊に見えて恐怖を感じてしまうというわけです。
我欲があるから自分を擁護することになり、敵というものを作ります。
敵が出来るから恐怖を感じてしまうわけですね。
自分のかいた汗は汚くないけれど、他人の汗は汚く見えるとか、自分の子供は可愛いけれど、他人の子供は可愛くないと思うとか…。
全ては偏った考え方、妄想から起きてくるものです。
誤った「自分の芯」という名のエゴは、自分の考え方は綺麗だけれども、他人の考え方は汚いというように見せてしまうわけですね。
顔は綺麗にしようとよく磨くけれど、足は汚いから磨かない。
外見しか外からは見えないだろうと見た目を綺麗にするけれど、内面は外から見えないだろうと心を磨こうとはしない。
心を磨くためには自我からくる自分の芯を強くするのではなく、自我を捨てたところにある自分の芯を作っていかなければいけないんですね。
自分の芯は自分のためではなく、他のための芯でなければいけないのだと思います。
それが実は自分のためにもなるわけですね。
もう一度、自分の芯というものを見つめ直してみませんか?(^_-)-☆
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