【ワクワク実現者 柴崎智弘 物語】 序章 - 経営戦略・事業ビジョン - 専門家プロファイル

伊藤 健之
ユー・ダブリュ・コンサルティング 代表
経営コンサルタント

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対象:経営コンサルティング

寺崎 芳紀
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(経営コンサルタント)
寺崎 芳紀
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閲覧数順 2024年04月25日更新

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【ワクワク実現者 柴崎智弘 物語】 序章

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ワクワク実現村
往復6時間の通勤時間。
一日の4分の1の時間を柴崎さんは電車の中で過ごしている。

辛くないですか?と尋ねると、「まったく」と即答する。
「むしろ、三日以上も休日が続くと、意味もなく会社がある幕張にまで足を運びたくなります」と
愉快そうに、お惚気にも近い「職場愛」を語って聞かせてくれた。

「もう辞めよう」
今からわずか二年半前。

柴崎智弘さんは、仕事がうまくいかず、職場環境にも馴染むことができず、連日の不眠症に
苛まれていた。現在の活き活きとした柴崎さんからは想像もつかない過酷な精神状態にあった
という。
「自分はできる」
そう信じて、三度の転職を決断してきたが、その自信は、もうすでにボロボロになっていた。

電話による営業。
毎日同じ顔ぶれの事業所。
ヒステリックで有名な女上司の視線

電話の内容はすべて上司の監視下にあった。
柴崎さんは、受話器を置くたびに上司の顔色、反応を確認せずにはいられなくなっていた。
受話器を置くことが怖くて仕方なくなり、お客様との通話が終わっても、耳に当てた受話器
を元に戻せないことも一度や二度ではなかった。
当然、そんな精神状態で成績が出るわけもなく、少しずつ「自信」は「自己否定」へと変わ
っていったという。

1977年、柴崎さんは埼玉県上里町に産声をあげた。
公務員の父と、専業主婦の母との間に、明るく活発な男の子に育てられた。
剣道部、学級委員長、生徒会長、地域青少年育成部の鼓笛隊バンドマスターと、あらゆる場所
で中心的人物として高校までを送った。

一年間の浪人生活を経て、1997年に國學院大學法学部に入学する。
大学3年の終了時点で、米コロラド州での農業研修に参加するために、一年間休学する。
大学卒業後、この留学生活で培った知識と英語力を活かすために、穀物全般の投資系企業に
就職する。
しかし、自分がやりたい内容と違ったことより、わずか半年で転職する。
雑貨メーカー大手の株式会社マークスに入社し、新規の営業開拓を一任される。天性の明るさ
も手伝って着実にお客様の数は増えていった。
仕事は順調であったが、2004年、かねてから親交の深かった穀物機械メーカーの原田産業株式
会社専務からの要請を受け、転職する。アメリカ農村部、および日本の農家の販路開拓を担当する。
2006年、「次世代系営業戦略」というキャッチが謳われた求人広告に目を留め、「もっと効率的
な営業方法があるはず」と模索していた柴崎さんは転職を決意する。日本IBMビジネスサービス
株式会社に契約社員として入社した。

ところが、これが柴崎さんの精神的どん底を体験する入り口となる。