
- 野平 史彦
- 株式会社野平都市建築研究所 代表取締役
- 千葉県
- 建築家
対象:住宅設計・構造
さて、夏を旨とした家が冬にはどうだったのかというと、「開く」ことを基本とした日本の住居は、例え閉め切ったとしても、建具の殆どは開くことに最も適した引き戸であり、紙を貼った障子戸であり、板戸でした。これらは殆ど断熱性も気密性も期待できるものではありません。
そして、日本の家屋においては「空気は自然に出ていってしまうもの」であり、従って、「空気を暖める」という発想にはなりません。「暖を取る」という言い方に象徴されるように、囲炉裏とか火鉢といったもので直接体を温める「採暖」で冬の寒さを凌ぐしかありませんでした。
しかし、流石に吹きさらしの部屋で凍えながら寝ていた訳ではありません。日本の古い家屋には「なんど」とか「ねま」と呼ばれる窓のない小さな部屋がありますが、これらは冬場の寝室であり、こうした狭い密閉空間で家族が寄り添って、お互いの体温で暖めながら藁に包まって寝ていたのです。
鎌倉中期以降に現われた「畳」は床下との通気を促す床材として開発されたものですが、座っても寝てもこれまでの板張りの床よりはずっと居心地が良くなったのは確かです。しかし、寒い冬にやっと座敷で安眠できるようになったのは、江戸時代になって一般大衆の間に「布団」という夜具が普及してからのことでした。
こうした「開いた」日本の家屋は基本的に平家建てで、囲炉裏などで直火を焚いて燃焼ガスを室内に放出しても殆ど外気と変わらないので、酸欠や一酸化炭素中毒などの心配は殆どなく、民家のように茅葺き屋根の場合には、煙りの燻蒸効果で茅の腐れや虫を防ぐのに役立っていました。
このように、日本の家屋は開くために造られていたので伝統的に「暖房」という概念がなく、局所的な「採暖」から踏み出すこともできず、従って、「換気」という概念もまだありませんでした。
こうした「採暖」生活が日本の有史以前から現代にまで至っている訳ですが、まだ一部には練炭や木炭をその熱源として利用している地方もあるとはいえ、電気の普及により今でも多くの家庭で愛用されている「こたつ」は日本独特のもので、採暖装置の傑作と言えるかもしれません。
(写真:白川郷村上家の囲炉裏端)
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