- 野平 史彦
- 株式会社野平都市建築研究所 代表取締役
- 千葉県
- 建築家
対象:住宅設計・構造
かつて建て売り住宅などを中心に、玄関階段プランが多かったのは、欧米の住戸プランを参考にしたものではあるが、それが社会的なニーズだったからだ。「プライバシー」がこれからのトレンドとしてもてはやされていたのだ。
玄関を開けるとすぐに2階へ上がる階段があり、2階は中廊下となっていて両側に個室のドアが並んでいる。
昔の家は皆「引き戸」だったが、モダン住宅は皆、「開き戸」である。個人のプライバシーを大切にしよう、という時代だったから、開き戸の方が密閉性が高く、その理念に合っていた訳だ。
子供もこれで静かな環境で勉強に打ち込む事ができる。
親は子供が部屋にいると、勉強していると思って安心した。
たまにおやつや夜食を持って様子を見に行くが、子供部屋はプライベートな空間だから親だってノックをして、子供に入室の許可を求めなければならない。
子供部屋にはベッドと机があり、即ち、日本の子供部屋は子供の寝室であると共に勉強部屋という主にふたつの機能を持っている。
ただ、寝室としての用途に使うなら子供部屋と呼ぶ必要はなかった。個室を与えればそこで落ち着いて勉強してくれるだろうから、子供の将来のために団塊世代のお父さんは、子供部屋のある家を確保すべく家庭を顧みずに企業戦士として夜遅くまで働いた。
終身雇用制が戦後日本の経済力を高め、高学歴=出世という効率の良いエスカレーターが用意されていた時代である。
こうして密室化していった子供部屋の中で、当の子供本人が親の思惑通りちゃんと勉強していたかどうかは分からない。
リビング階段が流行り出したのは、見え難くなった子供の動きを少しでも母親が監視できるようにしたかったという側面がある。
子供が学校から帰って来たら、必ず母親と顔を合せる。友達を連れて来たら、それがどんな友達なのかチェックできる。
リビング階段は「子供部屋」という密室に閉じ籠ってしまっては見えなくなる子供の様子を探るチェックポイントであり、当の子供にとっては“関所”の様な舞台装置だ。
親にとってみれば、こうしてリビング階段にすれば、少しでも子供の顔を見、コミュニケーションが取れるので、安心できた訳だ。
しかし、それは単に親が安心したいための舞台装置に過ぎなかったのではないか?
もう20年程経つと思うが、俗にいう女子高生コンクリート詰め殺人事件というのがあった。ある普通の住宅の2階の子供部屋に女子高生が一ヶ月以上監禁された上にコンクリート詰めにされて殺された、という事件である。
この家のプランがどうであったのかは分からないが、面白いのは、犯人となった少年は2階にある自分の部屋に電柱をよじ登って出入りしていた、ということである。
もしかしたら、この家はリビング階段だったのかもしれない。
だから、電柱をよじ登る必要があったのかもしれないが、それはその少年にとっては単にアプローチの不便さであったに過ぎないのではないか?
「子供部屋」という治外法権の聖域に入ってしまえば、誰もその場を侵犯することはできないのだから。
(次回は、どんどん居心地が良くなって来た子供部屋を覗いてみよう!)