人を許す事と、自分を大事にする(犠牲にしない)事の両立 - 心・メンタルとダイエット - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
東京都
クラシックバレエ教師・振付家

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対象:ダイエット

佐久間 健一
佐久間 健一
(ボディメイクトレーナー)

閲覧数順 2024年04月26日更新

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人を許す事と、自分を大事にする(犠牲にしない)事の両立

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今回のテーマは、「人を許す」という行為に付いての考察デス♫

(^^✿

 

「人を許しましょう」という美しい言葉を、当事者ではない人間が他人に言ったり求めたりする行為は世の中で一番簡単な事ですが、

いざ自分に当てはめてみると、この「人を許す」という行為は、場合によっては私達に取って大変難しい行為の一つであり、きっと多くの方が私生活の中で悩んだり、時には葛藤してしまう行為の一つではないかと思います。

(^^;

 

良く「他者を許すという事は、自分も許されるという事に通じる」と言われます。

これは正に真理でありますが、でもその「相手を許す」という行為が「自分を犠牲にする」という行為であるなら、私はストップ!と言うでしょう。

何故なら、自分を大事にできない人に、本当の意味で人を許す事はできないからです。

(・。・;

 

では何故、自分犠牲が本物の"人を許す"という行為にはならないのか?という事ですが、それは自己を犠牲にするという事は、自分を蔑ろにする行為であるからです。

\(◎o◎)/!

 

自分を蔑ろにする人間が、他者を大事にしたり愛したり、そして愛が無ければ不可能な「許す」という行為ができると思いますか?

いいえ。何故なら自分の中に在るものしか私達は相手に与えられないという真理があります。

 

 

ですので、まず「自分を大事にする」という基本的なものが根に無いものは全て、どの様な人間関係であっても、最終的には(例え許すという行為であっても、単に表面的な)偽善的行為になってしまうというのが、私の人生哲学なのです。

( ・・)~☆彡☆彡☆彡

 

ですので「人を許す」という行為の前に、まず「自分を愛する」という事が不可欠なのですが、どうも私達人間は、この「真に自分を愛する」という行為が大変難しい様なのです。

 

そしてそれは何から来ているかと言うと、「自分のエゴを自分である」と勘違いしている人間が多いから…という事から来ているのだと私は思います。

(・。・; 

 

それに付いては、

 

"自分のエゴ"ではなく、"自分自身"を大切にする事が周りを自動的に幸せにする 

「自分大好き♡」と「特別意識」の違い

「自分に欠点がある」という思考から生まれるもの

 

のコラムなどをご参照下さいませ♫

(*^^*) ~ ♡ 

 

 

 

 

このハスの花はまだ蕾ですが、これから大きく花開くのです。

大きく花開く前には、蕾という段階を経験しないとならないのですね。

 

 

 

種が成長して芽が出て、それが更に育って蕾を持ち、そして美しい花を咲かせる。

そのプロセスは、人間も同じなんだと私は思います。

(^^✿

 

一足飛びにエエかっこしいしても、無理して我慢したもの(背伸びして自分を犠牲にしたもの)は、いつか必ず反動が来て中心に振り戻されますからね~。

(^^;(^^;;(^^;;;

 

ちなみに、先日のルシファーに関しての記事の中で、

 

こうした4次元的な「神々」は、彼らが自らの投影をルシファーに与えること以外何もしなかった。彼らは、光が鏡に当ってはね返ってくるように、つまり彼らの投影そのものが、実はルシファーから生じたものであることを理解できなかった。だから彼らがルシファーに何を送ってこようとも、ルシファーはただ単にそれを彼らに送り返しただけであった。

 

しかし彼らは、自分たちの投影をルシファーに向けてより多くもたらせばもたらすほど、その結果はね返って来た投影、つまり彼ら自身の正義や真実を、ルシファーが肯定していると信じるようになったことにルシファーは気がついた。このようにして地球において4次元の神々は肥大化していき、膨れ上がるようになっていった。

 

最初ルシファーは、そうした神々が投影して来たものは、実際にはルシファー自身の自己中心的な振る舞いの投影であることを見抜くことができなかった。しかしルシファーがメムノシスに出会ってからというもの、彼らが勝手にルシファーの見解として思い込み、望んでいることは、実は彼ら自身の単なる投影でしかないことがルシファーに明らかになった。

 

ルシファーがこのことをはっきりと見極めると、彼らは何もかもわからなくなった。ルシファーは彼らにとって至高の神であり、軽々しく口にしてはならない絶対的な神であったのである。つまり彼らはルシファーを利用し、彼ら自身の行為を正当化していたのである。

 

人間がよく知っている地球のさまざまな宗教の神々たちは、これまでになく満足し、慢心していた。しかも彼ら自身の正義による振る舞いは、そうすることがルシファーのためであると勝手に思い込んだものだった。
ルシファーはそのとき始めて、人間が「愛想が尽きる」と表現しているのと同じ感情を抱いた。
ルシファーはもはや自分の行為に満足できなくなっていた。

 

という箇所がありましたが、

 

ここの部分が何を言っているか分からないという方も多かったのでは?と私は思いますので、もし良かったら過去に書かせて頂いたコラム

「他者は皆、自分の鏡である」という法則 《合わせ鏡と真逆鏡&お試し鏡》

を読んでみて下さい。

もしかしたら"投影"や"鏡"に付いての理解に、チョチョっと役立つ内容であるかもしれません。

(*^^*) ~ ♡

 

 

そして又、以下の部分には人間が幸せになるヒントやメッセージが沢山隠されていると私は感じました♡ 

☆_(_☆_)_☆

 

「なぜおまえは、そんなに孤独なのか?」、メムノシスはルシファーに尋ねた。
ルシファーがその質問に答えようとする間もなく彼は続けた。

 

「私はおまえの一部だ。私もまた、まったく光の存在であり、6次元の存在だ。
だがおまえと違って、私は他者の意志や自分の自由意志を誤用したことはない。
私は「解放」という名の「贈り物」を携えて、気ままにおまえのところにやってきた」

 

言うまでもなく、ルシファーは驚愕し、強い精神的な衝撃を受けた。これまでのルシファーの冒険、あるいは誤った冒険の結末のせいなのか、メムノシスという者のルシファーと同等の者の声は、触媒作用を引き起こし、ルシファーを粉砕する力を持っていた。

 

この宇宙には自分ひとりで誰もいないと思っていたこの広大な空間に、ルシファーと同じものを共有している誰かがいるということを、ルシファーは渋々認めざるを得なかった。このことはそれ自体で、ルシファーが自分自身に対してかけていた催眠術を叩き壊したのである。

 

メムノシスといくつかの会話を交えて、ルシファーたちは自分たちの背景に関することを共有した。それもルシファーにとって強烈な触媒作用を及ぼした。そしてわかってきたことは、ルシファー自身が投影した神々が、あらゆることに盲目で、今やいかなることにも聞く耳をもたないほどに慢心していることがわかってきた。

 

彼らは12:60の人工的な時間を使い果たすまでは、みじめで嫉妬深い自らのやり方で自分たちの運命を全うしようとしていた。そして唯一のその方法は、次から次へと惑星を破壊することしかないように思われ、こうして彼らは自分たちのビームを次なるターゲットの第3惑星・地球に向けていた。

(※あぁ、だから今の地球はこんな荒んだ状態になっちゃている訳なのね~~~!?)

 

 

それにしても私達人間は、何故「人を許す」という事を、こんなにも人生の課題の様に感じてしまうのでしょうか?

( ・・) ~???

 

その答えはメムノシスの言葉である

★他者の意志や自分の自由意志を誤用しない。
★「解放」という名の「贈り物」

という所に大きなヒントが隠れておりますし、

 

又彼がルシファーに問い掛けた「なぜおまえは、そんなに孤独なのか?」の中に、答えがあるのだと私は思います。

( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡

 

 

それでもまだ「言っている事が良く分からない」とお感じの方がいらっしゃるならば…

そうですね~、初期の頃に書かせて頂いたコラム

 

アナと雪の女王(LET IT GO ~ ♫)

犠牲と奉仕の違い 

 

なども参考になるかもしれませんので、こちらももし良かったらご覧下さいませ♫

(^^ ♡

 

 

 

 

 

 

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(東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ

natural & elegance

長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年