- 河野 英仁
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対象:特許・商標・著作権
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インド特許法の基礎(第17回)(2)
~強制実施権2~
2014年10月28日
執筆者 河野特許事務所
弁理士 安田 恵
5.裁判所の判断
争点A)申請人は特許権者から任意実施権を取得するための努力をしたか?
裁判所は,Natco社が特許権者から任意実施権を取得するための努力を行ったと判示した。
強制実施権の申請を行うためには,次の2つの前提要件を充足する必要がある。
・特許付与日から3年の期間の満了後に強制実施権が申請されていること
・申請人が,適切な条件で特許権者から任意実施権を取得する努力を行っており,長官が適切とみなす期間内(通常6ヶ月を超えない期間)に成功しなかったこと
第1の要件が満たされていることは明らかである。第2の要件について,裁判所は,両当事者間の書簡を審査し,Natco社による任意実施権許諾の要請に対する原告の2010年12月27日付け回答は,任意実施権許諾の拒絶を明らかにしていると判断した。つまり,Natco社は任意実施権を取得するための努力を行っており(その結果,その努力は失敗に終わった),強制実施権申請のための第2要件を充足している。Natco社に対する回答において,付言すべきことがあれば連絡すべきことが述べられているが,かかる接触の機会は架空のものである。既に行われた任意実施権の要請に対しNatco社が何か付け足すことがある場合にのみ,その機会が与えられているに過ぎない。Natco社の強制実施権許諾申請に対する長官の判断及び審決に瑕疵は無い。
争点B)公衆の満足いく程度の需要(reasonable requirement)が充足されたか?
(a) 公衆の満足いく程度の需要が充足されていないことの立証責任は強制実施権の申請者にあるか?
第84条(1)に規定する要件(強制実施権許諾の要件)を充足した,一応の証拠がある事件(強制実施権許諾の申請)であることの立証責任は強制実施権の申請人にある。長官の一応の納得があって初めて,特許権者は,強制実施権の申請に対する異議申立を行うことが求められる(長官の納得がなければ,強制実施権の申請書は特許権者に送達されず,公告もされない)。
しかし,異議申立の機会が付与された場合,当該特許薬に関する公衆の適切な需要が充足されていることを主張・立証する責任は特許権者に転換される。特許権者が特許薬をどの程度利用可能にしているかを示す最善の証拠は特許権者である原告が知るところである。この証拠こそ,原告が自身の異議申立を擁護するために提出しなければならないものである。
(b) 公衆の満足いく程度の需要
裁判所は,公衆の満足いく程度の需要は充足されていないと判示した。
公衆の満足いく程度の需要は,特許薬を必要とする患者数を背景にして長官が判断しなければならない。原告は全てのHCCがん又はRCCがん患者が特許薬の投与を必要とする訳では無く,医師が特許薬の投与以外の他の治療方針を選択することもあるが,これらの事情が考慮されていない旨を主張する。しかし,裁判所は数学的にこれらの事情について判断することができない。これらの事情に関する判断は,幅広い要素に基づいて行わなければならず,その判断は当事者が提出する証拠に基づいて行われる。
原告が長官に提出した宣誓供述書が示すデータによれば,特許薬を必要とする患者は8,842名である。この需要に対して原告が2011年に販売した特許薬は593包のみで,がん患者約200名に供給したに過ぎない。本事件とは別に存在する被疑侵害者Cipla社が供給する特許薬4,686包を足し合わせて考えても総計5279包である。裁判所は,被疑侵害者の供給する特許薬を考慮に入れ,原告のデータを受け入れたとしても,公衆の満足いく程度の需要は充足されていないと判断した。
B-Ⅰ)満足いく程度の需要(reasonable requirement)の充足の有無を決定する上で,侵害者による本件特許薬の供給を考慮すべきか?
裁判所は,侵害者による特許薬の販売を考慮すべきでは無いと判示した。
原告は被疑侵害者であるCipla社に対して侵害訴訟を提起しており,差し止めが容認される可能性があるためである。特許権者が被疑侵害者の市場参入を容認し,実施権を事実上許諾する場合に限り,被疑侵害者による特許薬の供給が考慮される。
公衆の満足いく程度の需要を充足する義務は特許権者のみにあり,自ら又はその実施権者を通じて果たすべきである。原告は,長官に毎年提出する様式27(実施報告書)において,特許発明の実施状況としてCipla社による特許薬の販売を含めていない。
B-Ⅱ)「適当な程度(adequate extent)」の文言の意義
第84条(7)には,実施許諾を特許権者が拒絶したとの理由により,特許物品の需要が,適当な程度(adequate extent)まで又は合理的な条件で充足されていない場合(第84条(7)(a)(ⅱ)),公衆の満足いく程度の需要が充足されなかったものとみなす旨の規定がある。この「適当な程度」の解釈は物品の種類によって異なる。裁判所は,医薬品の場合,100%の需要を充足しなければならないと判示した。医薬品はあらゆる患者に利用可能でなければならず,特許権者の権利によって剥奪されたり犠牲になることはない。万人が医薬品を入手する権利を確保するため,加盟国に柔軟な措置を認める2001年ドーハ宣言[1]に調和するものである。特許権者が全患者の需要を充足していない点に議論の余地は無い。
以上の理由から,原告が「特許薬に関する公衆の満足いく程度の需要を充足している」との主張は,何ら根拠が無い。
争点C)本件特許薬は合理的で無理のない価格で一般公衆に利用可能だったか?
(a)長官による「合理的で無理のない価格」の決定
インド特許法は,合理的で無理のない価格についていかなる調査権限も長官に付与していない。従って,合理的で無理のない価格は,両当事者が長官に提出した証拠に基づいて決定されなければならない。
本件では,原告が販売する特許薬の価格は約28万ルピー(約1ヶ月分),申請人は8,800ルピー(約1ヶ月分)での特許薬の提供を提示した。裁判所は,申請人の価格を合理的で無理のない価格とした。申請人の価格自体が,原告の価格が合理的で無理のない価格でないことを立証するものだからである。
裁判所は看過できない事実として次の事実を挙げている。長官に対する原告の姿勢である。バランスシート及びその他のデータを求める長官に対して,原告は何も明らかにしなかった。かかるデータが無ければ,長官は「合理的で無理のない価格」を決定することはできない。
(b)研究開発費の考慮
原告は,特許薬の価格は,本件特許薬の研究開発費のみならず,失敗に終わった医薬品の研究開発費も考慮に入れて決定されたものと主張する。原告はその根拠としてDintar氏の宣誓供述書を提示した。宣誓供述書では,研究開発に1,140ルピーを投じたことが述べられている。これに対してNatco社は原告が費やした研究開発費を1年で回収したことを証明するデータを示したJames Love氏の宣誓供述書を長官に提出した。
しかしながら,原告は決算報告書等を提示して,研究開発費を立証することはなかった。また,本件特許薬は米国で希少疾患用医薬品に分類されているため,研究開発費の半額を補償として受ける権利を有するが,補償額を明らかにしていない。
本件特許薬が合理的で無理のない価格で公衆に利用可能でないとする審決に過誤は無い。
(c)二重価格制度
原告は患者支援プログラム(PAP)を導入している。PAPは,本件特許薬の3日分を購入すると,同月分の残り27日分が無料で提供されるというものである。しかし,これは,医師の推薦と原告の裁量による特定の患者にだけ与えられる特別価格であって,公衆の誰もがPAP価格で特許薬を利用できる訳では無い。
第84条(1)(b)は,公衆を構成する誰にでも「合理的で無理のない価格」で特許薬を提供することを要求する。PAP価格は第84条(1)(b)の「合理的で無理のない価格」に当たらない。
二重価格の採用自体に異論は無い。価格の問題で特許薬を入手できない低所得の患者に対して,PAP価格等の「適切な条件」で特許薬を提供することによって,「公衆の満足いく程度の需要」を満たすことができる。しかしPAP等の二重価格設定の考え方は,第84条(1)(a)「公衆の満足いく程度の需要」を適用する際に利用できるものであり,第84条(1)(b)を適用する際に利用できるものでは無い。
以上の理由から,本件特許薬は合理的で無理のない価格で公衆に利用可能なものでは無い。
⇒第3回へ続く
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[1] 「4. TRIPS協定は,加盟国が公衆衛生を保護するための措置をとることを妨げないし,妨げるべきではないことに合意。公衆衛生の保護,特に医薬品へのアクセスを促進するという加盟国の権利を支持するような方法で,協定が解釈され実施され得るし,されるべきであることを確認。」,「5. TRIPS協定におけるコミットメントを維持しつつ,TRIPS協定の柔軟性に以下が含まれることを認識。…(b)各加盟国は,強制実施権を許諾する権利及び当該強制実施権が許諾される理由を決定する自由を有している。」(TRIPS協定と公衆衛生に関する宣言(骨子),http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/wto/wto_4/trips.html)
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