仏教とは慈悲と智慧
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少し前に「理性」と「感性」についてのお話しをしたところ、「理性とか感性ってどういう意味ですか?」と尋ねられたのでお伝えしておきます。
まず「理性」というのは、物事と判断する力のことを言います。
物事の良し悪しを判断する力ということも言えます。
理性無き信仰というのが、盲目の信仰になってしまうというのは、判断する力が乏しいが故に起きてしまうことなんですね。
一方「感性」というのは、感情のことを言います。
好き嫌いという感情も感性ということになります。
理屈一辺倒で相手の話しをあまり聞かないというのは、感性が乏しいが故と言うことです。
上記を読んで頂けたら分かるかと思いますが、一般的に男性の多くは理性が強く、女性の多くは感性が強いのです。
どちらかが強いということは、どちらかが弱いということにもなりますが、理性と感性の両方を持つというのが大切なことなんですね。
理性は知るということで、感性は感じるということであり、仏教の教えというのは、とても理性的な面が強いです。
キリスト教は感性が強いという言い方が出来るかもしれません。
お釈迦様はとても慈愛に満ちた方で、感性の強い人は、その人柄に惹かれて集まってきます。
一方、理性が強い人は、お釈迦様の教えに惹かれるというわけです。
仏教の場合には、法そのものが神のようなものでもあるのですが、感性が強い人には、そのことがわからないんですね。
人柄が好きで集まったのだから、法を学ぶなどという面倒なことには興味が無いわけです。
もしくは、理性が乏しいが故に、「もう知っている…」と思い込み、正しい判断が出来ていないこともあります。
ですが、お釈迦様が説いて歩いていたものこそは法なわけです。
その法こそが人々を幸せに導く教えなんですね。
美味しいケーキを作るレシピが「法」であるのに、その見た目や味だけを追い求めてお店巡りをしていたのでは、いつまで経っても自分自身で美味しいケーキを作ることは出来ません。
結果、誰かが作ったケーキを売値で買うしかないというわけです。
この場合の美味しいケーキが「幸せな人生」そのものなんです。
法こそを学ばずして、苦悩の無い幸せな人生を作ることは出来ません。
美味しいケーキを作るために、美味しくて有名なケーキ屋に並ぶパティシエがいるでしょうか?
お釈迦様が亡くなられる前に、「法を見るものは私を見る。」とまで仰って法の大切さを伝えようとしました。
感性の強い方は、もう少し理性というものも意識されてみて下さい。
一方、理性が強い方は、感性というものにも意識を向けてみて下さい。
いくら理性が強くても、それが自分のためのものだけであれば、誰かを救うということは永遠に出来ません。
誰かを救うことが出来ないということは、自分を救うことが出来ないということです。
理性だけでもなく、感性だけでもなく、その両方を持って進んでいくことこそが本当の幸せへの道なんです。
自分がどちらかに寄っていないか…。
ふと考えてみるのも良いのではないでしょうか?(^_-)-☆
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