明治初期の地租は3%
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- 公開日時
- 2011/05/03 17:45
不動産鑑定は国の税収を支える為の土地価格の根拠、金融機関の担保評価
公共用地の補償、等を目的に始まっています。
そこで今回は農地の税金や評価方法について紹介します。
明治時代に地租改正が行われました。これは幕藩体制では米の取れ高に応じて
年貢として上納されていたのを金納に改めた。
地租は法定地価の3%と設定されました。
この法定地価はどのように算出するかというと
粗収益(単位当りの米収穫量×面積) -種代肥料代 -(地租+村入費;地方税のようなもの)
÷ 自作地の場合6% = 地価
つまり収益還元法で価格を算出していたのです。 (総収益ー総費用)÷利回り =価格
なのです。 ちなみに自作農の場合は利回り6% 小作農に貸している地主の場合は4%
でした。
収益還元法は昔からあったのですね。
その純収益から割り戻した地価に対して3%が地租となりました。
ちなみに市街化宅地は又別の方法で課税されていました。
農地が収益を生み出すことを前提にした収益還元価格で価格が決定したのに対して
市街地宅地は収益還元法と取引事例比較法が併用で地価が決定されました。
土地に等級が付けられました。
この時、東京で一番高い等級が付けられた地点が日本橋室町1丁目9番付近で
当時から細分化された区画が並んでいた魚河岸地に近い場所だったようであります。
今は昔で、規模の集積化が進んでおらず、やや取り残された感はある老舗エリアであります。
明治初期は江戸の名残で運河が商業交通網の枢要を占めておりまして、運河沿いの土地には
高い等級が付けられていました。
明治初期のころは宅地からの税収よりも農地からの税収が主であったようです。
日露戦争の頃も税収不足で地租も増税になったようです。
四方山知識でした。
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