堀江 健一
ホリエ ケンイチグループ
チア☆ダン8 出会いがあっても誰にもピンと来ないわけ
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自分感覚の確立
前回は
どんな事を「~したい」と欲しているのか?
どんな事を「~べき」と捉えているのか?
と行った事を自分なりに自覚して、
するべき事はするにしても、
純粋に「~したい」と思う事もしてみようよと言う提案をしてみました。
なぜこんなに「~したい」と思う事してみたら?と強調するかと言うと、
したいと思う事をしていない人や、「~したい」と言う感覚が育ってしない人が多く、
そのために、自分の人生を主体的に生きておられないように見える方が多いからです。
人生の一部分である「恋愛」「結婚」を切り取って見ても同じで、
「恋人が欲しい」と言う気持ちは本当にありながらも、
実は「恋人を作るべき」「その恋人とはこんな人であるべき」と言う「べき」があるために、
何か気持ちの方向性がおかしくなってしまっている事が、一部にあるように思います。
与えられた役割を果たすための「~べき」と、自由な自分の「~したい」
「~するべき」ことをするのも、
「~したい」と思う事をするのも
その人の意思なのですが、
「~するべき」ことをすると言うのは「与えられた役割」があり、その役割を果たすための義務であったり、
使命みたいなものなのではないでしょうか?
「親を安心させる良い子供」としての役割を果たすために「良い結婚をするべき」
「素適な女性の役割」をまっとうするするために「素適な恋人を作るべき」
「勝つ男の役割」を証明するために「美人の奥さんと結婚するべき」
みたいな。
逆に言えば「~するべき」ではないことは、したい事でもするべきではない。
と言う
無意識的な硬直した信念になっていないでしょうか?
片や「~したい」は、本来その人の自由意志から生まれて来るもので、人から求められるものでも課せられるものでもありません。
何の役割からも解放されて、その人が純粋にやりたいと思える欲求であり、意思である様に思います。
人から役割と言う「殻」を与えられることで安心し、役割を果たす事でまた安心する事があるかと思います。
自由でいたいと思う反面、本当に自由にしてていいよと言われると、
じゃあ何して良いのかわからなくなってしまうことがあります。
例えば社会人として会社員と言う役割を果たしている時には精神状態も安定しているのに、
引退して現役で無くなり、何の役割も無くなり自由に過ごしていいよとなると、その瞬間に
「これから私は何をして生きて行けばいいのか?」「自分って一体なんなんだ?」と
途方に暮れてしまうお父さんのような感じです。
仕事をする役割以外の「自分」と言うものがないと、非常に危機的になってしまうのです。
仕事が無くなると現実的に経済的な危機が発生しますが、それ以上に「社会人としての役割」を果たせられなくなっている
「不安」や「焦り」
の方が問題としては大きいように思います。
お受験や競争の話で言うと
「いつも勝っていて、上の自分」と言う役割を果たしている事で安心していられるわけですが、
現実には上には上がいたりするものです。
自分より上の人が現れた時、その人は自分の存在価値が無くなったと感じてしまう事になります。
でも、勝つこと以外に自分が何をしたいのかが自分でわかっていたら、勝ち負けだけでは無く、
自分がやりたい事をしようと思うだけで、自分の価値が揺るいでしまう事はないのではないでしょうか。
自分感覚の確立
「恋活」や「婚活」をしている人の中にも、純粋な欲求としてパートナーを欲していると言う人だけではなく、
「恋人の役割」「夫・妻役割」と言う新しい役割を与えられ、その役割を果たすことで安心したいと思われている様に
感じられる方がおられるわけです。
それが悪いと言うわけではありませんが、そうした方は「自分」と言う感覚が薄く、
そのため「自分に合った相手」「自分が好きな相手」と言う概念と言うか、感覚があまりないので、
相手選びや出会ってもお付き合いしようと思えるのに苦労される様に感じます。
誰と会ってもピンと来なかったりするのは、自分と言う「自分感覚」がわからないから、
自分に合う相手と言うのがどんな人なのか?もわからなくなってしまうの無理もないかも知れません。
運良く相手から選んでもらえたら、お付き合いは始まるかも知れませんが、
後々やはり「なんかこの人では無いのかも?」と、
やはりピンと来ないままでは支障が出るかも知れません。
そのような理由で、私は些細なことでも「したい」と思う事を見つけてやってみることで、自分を確立して行くことが
人生や人生の一部である恋愛や結婚において重要ではないだろうかと思ってます。
『私は「~するべき」ことを「したい」』
と考えておられる人もいると思います。
一見まっとうで普通の事のように思えますが、これにも色々問題がありそうです。
この事については、もう少し考えを深めてまた書いてみたいと思います。
チア☆ダン桜沢さんの優等生の反抗
チア☆ダンにも、そんなような事を象徴的に示している登場人物がいます。
優等生であり教頭の娘・桜沢さん(演:佐久間結衣さん)です。(上の写真の手前、右から2番目)
自分が通う高校の教頭先生である父親(演:木下ほうかさん)は、子供の事を思って、優秀な子供、成績の良い子供であることを厳しくコントロールしてしまいます。
優しい桜沢さんは、そんな父に逆らう事も出来ず、言われるがまま勉強ばかりして、父の期待に添うよう頑張っています。
良い大学に入った時こそ、父からの期待や欲求からも解放される事を願って。
そんな桜沢さんの目線からすると、
チアダンのメンバー達は「やりたい事をやれているうらやましい人達」でしょう。
しかし、それを素直に「良いなぁ」と思えるほど単純な心境ではありません。
彼女にもプライドがあります。
自分がやりたい事をやれていない、やりたいことを我慢して勉強しているのですから当然面白くありません。
実際今の状況ではダンスなんかしているメンバー達と、縛られて勉強している自分とでは「君たちとは違うんだよ」と感じ、
少しひねくれて「バカみたいなことに一生懸命になっているバカみたいな人達」のように冷めた目で見えてしまっていました。
自分の葛藤から眼を背けてしまっていたのです。
しかし、やがてメンバーに加わる事になります。
実際自分が本当にチアダンスをやりたいのかどうかはわからないけれど、
少なくとも囚人のように捕らわれて勉強している様な今の自分のままでいるのはもう嫌だし、
私だってやりたい事を見つけてやってみたいと思ったのです。
ですから、チアダンスをしたくて入ったと言うよりは、
チアダン部に入ることをしてみたくなったのでしょう。
それはある意味、父親へ反抗したくてチアダン部に入ったのでは無く、
チアダン部に入りたくて、仕方なく父に反抗せざるを得なくなったとも言えるでしょう。
一般的には大抵反抗したい気持ちが先行してしまう事が多い様に感じますが、
それも自律に向けての自然なステップのように感じます。
それはある意味、父に教えられてきた競争社会の役割価値世界(~べき)から一歩抜け出し、
自分がやりたいかやりたくないかだけのシンプルな欲求(~したい)を満たすことに価値を置こうとする自分の価値世界でも生きる事になります。
続く
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