対象:SNS
ネットやSNSの匿名コメントはネガティブな書き込み(差別的内容・悪口・誹謗中傷・デマなど)がとても多いのは周知の事実ですが、実名制SNS(フェイスブックなど)の書き込みもあまり変わらない気がします。(コメントに付与される評価も含めて)
実名制と匿名制では全く違うはずなのに、何故でしょうか。それとも私の感覚がおかしいのでしょうか。
namikenさん
(
広島県 / 男性 / 31歳 )
回答:1件
実名SNSでネガティブな書き込みを行うのはその自覚がないから
匿名でないSNSでネガティブな書き込みを行うのは、書き込む本人にその自覚がない
からです。そのことを理解しやすい話があります。
車の窓から空き缶を放り投げて捨てる人がいますがそれには二通りあると言われます。
一番目は車の窓を開け、いきなり躊躇なく車外へ放り投げる人
二番目は窓を開けたあときょろきょろとあたりを見回してから放り投げる人
さて、どちらがより悪い行為(罪が深い)かという問題です。
答えは一番目の人です。
それはなぜか?
どちらも缶を窓から捨てるという悪質な行為であることには間違いないのですが、二番目の人はきょろきょろとあたりを見回して放り投げています。自分がこれから悪いことをするという自覚があって一応人眼を避けようとしています。
それに比べて一番目の人の行為は、その行為自体に何のためらいもなく悪いこととすら思っていないので躊躇なく放り投げるのです。悪いことをしているという自覚がないというのは知っててやるよりも罪が深いのです。要するにこれが「無知」というものです。
知っててやる方が悪い印象がありますが、悪事を犯しても悪いこととわかっていれば「反省」の余地があります。しかし、自分の行為の何が悪いのかわからないという「無知」に反省を理解させることは難しいでしょう。犯罪の科料でも反省しているかそうでないかで判決の刑期が違うことを見てもわかります。
SNSに匿名で書き込む人は一応身バレはしたくないと思っているわけです。中には匿名性ということで判断が緩んでつい過激な書き込みになってしまったという人もいるでしょう。匿名にしているということは自分が弱いことを知っていて匿名という「鎧」を付けているのです。
それに比べて匿名でないのにネガティブな書き込みをしている人というのは自分の意見は自分の中では圧倒的な正義であり正しく崇高でかつ公平であるとすら思っているかもしれません。自分は強いと錯覚しているから匿名という鎧を付けずに生身でも平気なのです。
でもそれは本当に強いわけではなくて実際には善悪の判断や道徳心というブレーキが壊れているか踏み違えている、もしくはそもそもブレーキを持ち合わせていない=「無知」であるために自分の行為について自制が効かないオーバードーズ状態になっていると思われるのです。
要するに「無敵の人」なのです。
最近では「自己愛性パーソナリティー障害」が話題になっていますがそれに近いと思います。
コンピュータやインターネットは本来、その歴史を振り返っても学問や科学技術などで情報を正確に早くやり取りするためのものです。高度な知性も必要とされる装置です。それが商業主義に流れ、その結果、本来手にすることのなかった一般の人々に理解の範疇を超える情報が流れ込んでいます。それは一見情報の自由化や平等化に見えますが大きな間違いです。体格が人それぞれに違うように情報や知識の処理能力も人によって様々です。
大昔、情報というのは一つの書簡を送るだけでも人命や国の存亡がかかるほどの重要なものでした。そのようなものを自由化させてしまうということは交通ルールもマナーも交通道徳も知らない、当然免許もない子供が公道で車を運転しているようなものです。
ネット空間というのは現実の空間ではなくあくまでも「仮想空間」なのです。そんなものを中心にものを考えるのは危険です。価値観の共有はネットではなくて実際に現実の人間関係で行うことが正常です。
回答専門家

- 古賀 竜一
- (佐賀県 / ITサポートエンジニア)
- あんしんパソコン相談室
ITサポートの実務と経験で現場から情報発信する専門家
ITのユーザーサポートの現場で実際に問題を解決しながら、今ITで何が起きているのか、現状とその問題点をユーザーの視点で情報発信している専門家です。多様で複雑になってきたITのことをユーザーにわかりやすく丁寧にお伝えします。
(現在のポイント:-pt)
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