- 宮本 ゆかり
- マイウェイネットワーク
- ビジネススキル講師
対象:ビジネススキル
“当たり前のレベル”というものが存在します。
例えば、会社組織でいうと、「社内が常に整理整頓されている状態」を、その会社の社員が「当たり前」だと認識している場合、その状態は一人一人の行動によって保たれ、社風・文化として定着します。
一方、まだ「当たり前レベル」になっていない場合は、「整理整頓しよう」などとスローガンを掲げて壁のあちこちに貼ったり、誰かが指導して賞罰を与える、あるいは教育するなどの働きかけをしない限り、組織全体のレベルは上がりません。
日本人は、ある面、この「当たり前レベル」がとても高いと思います。
特に私が高いと思うのは「サービスの基準」に関して。
「お客様に対して、お店のサービスや対応はこのぐらい丁寧にしてくれて当たり前」というレベルが高いため、お客の立場では、とても心地よく過ごすことができます。
一方、これをサービスを提供する側に求めると、お互いに辛いものがあります。
特に中国人に対して、いきなりこれを求めると、お互いにストレスを感じてしまうことになります。
さて、では子ども達の教育現場ではどうでしょうか?
私が思うに・・・一般的な日本人の認識として「子どもとは、このぐらいできて当たり前」
というレベルが低い(甘い?)と感じます。
「まだ小さいから、可愛そう」「これは難しいから、まずはこの程度できればいいんじゃないか」という、大人の判断のレベルが、中国人の「当たり前」と比べて低いのです。
例えば、新入学の小学一年生の場合。
日本では、まず最初に登校した入学式の日は、式に参加して終わり。帰宅します。
その次の日は、オリエンテーション程度で帰宅します。
その後、徐々に慣らしながら、半日だけで帰宅の日が続き、通常の時間割りどおりに授業が開始されるまでには、何日かかかります。
このように、「子どもが学校に慣れるまでには時間がかかる・・・」という認識の下、優しい(甘い?)配慮がなされているのです。
一方、うちの娘が入学した中国の公立小学校では、入学した初日から7時間授業が行なわれました。(一科目あたりの授業時間は35分ですが)
それで子ども達がストレスを感じて疲れているか・・・?というと、そうではなく、みんなパワフルでイキイキしているのです。
中国語には、日本語のように「ひらがな」に当たる文字がありませんから、いきなり全部「漢字」を使って教育が始まります。
子ども自身が、明日の時間割や連絡事項をノートにメモしてくるのも、先生が黒板に書いた漢字を書き写してくるしかないのです。
だから、子ども達はアッというまに漢字の読み書きができるようになります。
うちの子も、私がまったく教えていないのに、いつのまにか教科書をスラスラ読むようになり、それまでの私の「憂い・心配」は、一気に吹き飛ばされました。
いやはや、子どもの可能性の枠を、私の常識で狭めてしまわないよう、私自身の「当たり前のレベル」を上げていかなくちゃいけないな・・・と思わされます。