- 中野 博
- 株式会社エコライフ研究所 代表取締役
- 埼玉県
- 経営コンサルタント
対象:ビジネススキル
ある日、突然、スピーチはやってくる
「講演をしろって?私が?社長、僕はまだ未熟者です、とても講演をするなんて無理です。」
今から17年前、私は27歳であったが、突如、上司の命令で多くの人たちを前にして
講演をすることを命じられた。
私は住宅業界の調査・研究をするシンクタンクで研究員をしており、調査・取材をして分析した結果をレポートにまとめ上げる業務に当たっていた。そのような一研究員の私に、人前で専門性の高い内容の話をしなければならないと言う任務が与えられたのだ。
しかも、これは会社が主催する有料セミナーでの講師であり、聴衆はすべてお金を払って参加する形式のものである。まさに、青天の霹靂(へきれき)であった。
‘人前で話す’ということなんて、会社での発表会や結婚式のスピーチくらいしか経験がない。そのスピーチのときでさえ、緊張して何を言っていたか分からないような始末だった。時には、話が長くてまとまりがないとさえ、言われた苦い経験が私を臆病者にしていた。
かつて経験したことのある結婚式のスピーチは数人の友人の顔が見え、仲間意識があった。また、会社内での発表会も、まだ新人みたいなものだから、との甘えもあった。つまりは、それほど話す内容に対する要求は高くなかったのだ。
しかし、今回は状況が違いすぎた。まさに、敵前逃亡の気分で、できない理由をいろいろ並べ立て、いかに自分が話し下手かを上司にアピールするだけだった。命令をされてから1ヶ月間、毎日人前で話すことの恐怖が私を支配していた。
少しでも気持ちを落ち着かせるために、本屋、図書館を利用しては、話し方の本を参考にしたが、読むほどに、いかに任務が大きいかを知り、心臓は高まるだけであった。いろんな話し方の本があったが、素人の私が安心して読める本が1冊もなかったのだ。著者の皆さんは話し方の先生やコンサルタントの方々で、いわばプロばかり。「ここに書いてある通りできれば苦労しないよー」、やはり、上司に頼んで辞退しようか?
しかし、出世が遅くなるだろうな、期待はずれと烙印を押され、ダメ社員扱いされてしまうだろうな、と悶々としていた。
そんな私の内心とは関係なく、申し込み用紙には講師・中野博と書かれており、関係各社へばら撒かれていた。1週間前になると、参加者の名簿が出来上がっており、支店長や部長クラス、中小企業の経営者とみな私より20歳以上も先輩の方々ばかり。私は開き直ろうと自分で自分を慰めていた。しかし、何をどのように開き直るのかさえ、わからない状況であった。
上司に、「どのようにしたら上手く話せるでしょうか?」と質問をしても、「中野君が研究したことをしっかり話せばいいんだ、いつものように話せばいいだけだよ。そんなに難しく考えずに思い切っていけ。」との返事に対して、私は「はい、がんばります」とだけしかいえなかった。
そう、これ以上ビクビクする姿は私のプライドが邪魔をしてしまったのだ。
前日までに話す内容とレジュメを作り上げた。とにかく今は準備だけをバッチリやるしかなかった。当時の私にはお手本もマニュアルもなく、おまけに実績もなかった。ただ、機会だけがそこにあると言う状態なのだ。
やばい、やばすぎる!
(つづく)