- 上田善隆
- オフィスゼンリュウ 代表
- 京都府
- 広告プランナー
対象:販促・プロモーション
- 山田 祐子
- (旅館・民宿プランナー)
- 山田 祐子
- (旅館・民宿プランナー)
そのうち売れている商品ということでお彼岸やお盆の時期には、マスコミが取材に来てくれるようになりました。新聞やテレビでは「なぜ売れるのか」とか「元気な企業の秘密」というテーマで取材があります。インテリア雑誌では、リビング特集をする際に現代仏壇を借りに来ます。テレビや映画のドラマにも小道具として使われました。
ところで取材の際、私は必ず記者に向かって
「あなたは仏壇の前で手を合わす対象は何ですか」と逆に質問します。
これが私のマスコミに対するオリエンテーションのファーストトークです。今までこういう質問はされたことがなかったのでたいがいの人は首をかしげました。仏壇の前では、手を合わすことが当たり前だから誰もそういうことを考えたことがなかったのでしょう。
「答えは、御本尊に手を合わす人はあまりいませんよね。正解はご先祖じゃないですか」というとなるほどと頷かれます。
だったらこれは仏壇ではなく、先祖壇と呼ぶほうがふさわしいのでは。自分の家の宗派も知らないで御本尊を拝むわけにはいきません。そして手を合わす対象は、先祖というより、自分により近い父や母、祖父、祖母といった身近な人ではないでしょうか。
さらにお墓参りには行くけど、お寺参りには行かないでしょう。お寺に行くとしたら観光が目的でしょう。お寺の役目って一般の人々にとって何なのだろう。誰も期待していないような気がします。それならお寺のルールをそのままま持ち込む従来型の仏壇の役割は現代では終わっているのです。自分たちの生活空間に合わせて仏壇も変えた方がいい。
仏壇の日本の歴史は飛鳥時代から始まりますが、一般庶民の家に普及したのは江戸時代でした。長い平和が続き、大工道具が発達し、その上キリシタン禁令と全住民の戸籍を把握するための寺請制度が作られ、全家庭に仏壇が置かれるようになりました。これが現在の従来型仏壇の流れの始まりです。そして次の仏壇ブームは第2次世界大戦の後、1950~60年代にやってきました。戦争でたくさんの人々が亡くなり、やがて高度経済成長期を迎え日本列島改造論のおかげで、日本のすみずみまで道路ができ家が建ちました。仏壇店は田畑をつぶして道路工事をしている農家を見つけると、その補償金で大きな家が新しく建つため、仏壇のセールをかけました。農家は、今のマンションと違って開放的で飛び込み訪問するのも簡単です。何百万円という仏壇が飛ぶように売れていきました。こうして全国2、000万軒の家に仏壇が普及しました。
続く
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