脳死は人の死か? - 住宅設計・構造設計 - 専門家プロファイル

野平 史彦
株式会社野平都市建築研究所 代表取締役
千葉県
建築家

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対象:住宅設計・構造

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脳死は人の死か?

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Topics よもやま話
臓器移植法改正案で「脳死は人の死」とする判断が衆議院を通過した。
日本では15歳以下の子供の臓器移植が認められていなかったため、日本の子供達は、これまで渡米して臓器移植を行なって来た。
しかし、最近ではそうした海外での移植が俄に問題となり、15歳以下の子供達の臓器移植が国内で可能となる様、法改正が求められることとなった。

衆院で可決されたA案、即ち、「脳死は人の死」といっても、無条件に臓器移植の対象となる訳ではない。「家族の同意」が必要となる。

この改正案が施工されても、どれだけ子供達の臓器移植が可能となるのか?
今の段階では,殆どその実効性はない様に思われる。
「脳死は人の死」というのは、日本人の伝統的な死生観には存在しない。
臓器移植のために死生観を押し付ける事はできない。

何故、この様な問題が起こる様になったのかと考えれば、それは明らかに医学の発達によって引き起こされた問題であると言えるだろう。

人の死とは、本来、厳密な判定が必要なものではなく、自明な事であった。
一般的には、肺機能が停止し、呼吸が止まる。それから心停止となり、脳の機能が停止し、「死」となる。

それが、「人工呼吸器」が開発され、自発呼吸ができなくなっても、「死」を始められない状態で脳が死滅しても生かされてしまう、即ち、「脳死状態」という状況が生まれることとなった。

すると、人の死は、その人自身の肉体に委ねられることではなく、この「人工呼吸器」を外す人の手に委ねられることになる。そんな状況でいったい誰が人の死を決めることができるだろうか?

そんな中で、医学は臓器移植によりこれまでは死を待つしかなかった人の命を救う事ができる様になった。しかし、移植臓器は死体から取り出す事ができない。そこで、脳死状態の患者の臓器がターゲットになる。

脳死になったからと言って、すぐに他の子の命を救う為に我が子の心臓を取り出すことを許容できる親がいるのだろうか?
脳死状態の子供達はその状態のまま成長しているのである。
何か日本人の感性に合わない様な気がする。

医学の発達は、確かに我々の健康を増進させ、寿命を延ばし、これまで以上に人々の苦しみを癒し命を救って来たのかも知れない。しかし、一面、最も尊厳のあるべき死を曖昧なものにしてしまった様な気がする。

私の父はアルツハイマーを煩い、最期は施設で心臓発作で亡くなったが、アルツハイマーの進行で私を認識できなくなった時が父との最初の「お別れ」の時であり、その肉体の死が最期の「お別れ」の時だった。

母は植物状態でもう4年が経過している。自発呼吸をして眠り続けているから脳死状態とは言わないのかも知れないが、母との「お別れ」は今も曖昧なまま続いている。