- 志田 茂
- 志田茂建築設計事務所 代表
- 東京都
- 建築家
対象:住宅設計・構造
そうではなく、これが趣味として 雑貨が好き! とか インテリアが好き! という事なら、もう全て自分の「好き」基準で考えればいい。 「かわいい!」でも・・・。
その基準でつくられた「部屋」は、申し分なく 「良い」 のです。・・・ その人にとって。
設計というのは、個人の「好き」がなければいけないわけですが、、依頼する人が、その人の設計したものを見て、気に入って頼んだ時、それは、あくまで 「ある一面」を見ているに過ぎない。
設計者の「好き」と施主の「好き」は、大筋一致する(・・・そうでないと大変な事に。。)のだけど、細部に渡って そうか というと、そうではないわけです。
「大筋一致する」ものが 木の幹 だとすれば、
「そうでない」部分が 枝葉 となります。
外の人が目に入るのは 枝葉 なのです。・・・それが 「ある一面」 という事。
枝葉 は 幹 がなければ支えられないわけで、そこをよく見なければいけません。
その「幹」が、太いのか細いのか、固いのか柔かいのか、ザラザラしているのかツルっとしてるのか、、、それによって、出てくる「枝葉」・・・というか「つけられる枝葉」が違ってきます。
同じような「枝葉」に見えても 「幹」 が違えば、根本的に違うのです。
・・・・
で、自分はどんな幹を作ろうとしているのだろう・・・・?
木は自分の姿を見る事ができない ・・・ 。
と言っては終わってしまうのですが、、、それは、またいつか。。
ただ、少なくても、細く・まっすぐで・高い のではなさそうです。( 自分の体形見ても。。)
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雑然とした状態が嫌でした。 散らかっている部屋も。。
すっきりとモノが納まっている状態が好きです。・・・ それは 正直、今もそうです。
でも、だんだんと、雑然とした状態に、ある安定感がある事が見えてきたように思います。
その人は、そうゆう状態に心地良さを感じるし、そんな中にも、その人なり秩序や決まりがあったりするわけです。
なんというか、、そうゆう事の面白みが・・・ ふと、心温まる。。
街にしても同じ。・・・街の場合には、むしろ「整然としたもの」に、興味が湧かない と言っていいくらいになってしまいました。。
だって面白いじゃないですか!
それぞれの中に、それを特別にどうと思うわけでもなく、坦々と繰り返される日常が詰まっているんです。 街も部屋も人も・・・ 。 そして実は、「こだわり」 がいっぱいだったりします。
自分の 「好き」 は確立したほうがいいと思います。その意味は、「対比」で、他の「良さ」を知る事ができるからです。
趣味でも仕事でも 「好き」 という「幹」を、どう作るか・・・・
見えなかったものが見えるかもしれません。
坦々とした日常の中に、、、いとおしく思うものが、、、、たくさんあるように思います。
(終)
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写真は、これから改修するマンションの部屋にある手洗い器。
デザイン的に洗練されたものでもなく、ごく普通のモノですが、、曲線とか縁の厚さとか、お湯と水の二つの水栓とか、妙に好きだったりします。