- 増井 真也
- 建築部門代表
- 建築家
対象:住宅設計・構造
一見何でも手に入れることが出来るこのような大資本によるショッピングモール。しかし、そこには大きな落とし穴が存在する。
そこで手に入れることが出来るものは、大量生産・大量消費社会の中に組み込まれることが可能だと判断されたものしかない。つまり、一般的な家族連れや買い物に来た若者が買ってくれるだろうと予想されるもの、そして、海外や地方に作られた大規模工場における大量生産システムに組み込むことの出来るもの以外は手に入れることが出来ないのである。
全ての商品は売れるか売れないかのフィルターにかけられている。そのフィルターを通過できたものだけが商品として並ぶ。そこには、個人の持つこだわりや一部の人にしか受け入れられないような独自の表現をした商品などは並ぶ余地は無い。
その結果、町は地域性を失っていく。埼玉県のショッピングモールで買っても滋賀県のショッピングモールで買ってもそこで見ることの出来る商品にそれほどの差異は生まれない。差異が生まれるような地域性のある商品は大資本のショッピングモールという大量生産のシステムには向かないのである。
住宅の世界でもこのショッピングモールの世界と同じことがおこっているということが言える。商品化住宅や建売の住宅の中で用いられている建材、材料というのは全て大手メーカーの運営する工場で作られている。フロアリング、キッチン、ユニットバス、屋根、外壁、クロス、・・・全てのものは大量生産社会の構造に組み込まれている。逆に言えばそのシステムの中に組み込めないものは、使うことが出来ないのである。なぜか、それは今の建築業界の状態を説明しなければわからないであろう。
(ちなみに写真は長崎の日本26聖人殉教地。ガウディーのような有機的な造形がひときわ目を引く。宗教の違いによる迫害という史実に向けて、命より愛をとる当時のキリシタンの誠実な姿に向けて、力いっぱいの造形を魂をこめて発しているようなこの建築からは、大きな力が今も発せられているよう。大量生産とは対極にある建築である。)