広島原爆の資料館にカンナの写真がある理由② - 婚活全般 - 専門家プロファイル

橘 凛保
社団法人橘流恕学アカデミー 理事長 講師
東京都
マナー講師

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閲覧数順 2024年04月15日更新

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広島原爆の資料館にカンナの写真がある理由②

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物事にはストーリーがあります

さてこのカンナの写真どなたが掲げたのかしら

次の取材はそれでした

この写真を掲げたのは当時の館長 畑口氏でした

これは直接は田口氏から伺った話です


畑口氏は被爆2世でした

お母様のお腹の中で被爆したのでした

お母様はお父様をさがして市内を歩き回って被爆したそうです

お父様は即死だったそうです

その遺品が資料館に展示されている バックルと時計です

無事にご誕生されましたが被爆者であることは言わないでいたそうです

お母様がお一人で畑口氏兄弟を育てられ大学を卒業された畑口氏は

安定した仕事ということでお母様を安心させるために

市の職員になりました

皮肉なことに最後の職場が資料館だったのです

しかも館長としてリニューアルにも携わることになるのです

初めて自分も被爆者であることをカミングアウトされたそうです


リニューアルには思い入れがありました

そのひとつに特に大きな想いを込められました

出口の最後の展示「カンナの写真」なのです


原爆の実相を伝えることがまず大事な役目

惨い写真も展示しなくてはなりません

悲惨な展示品の数々

二度と繰り返さないための展示です

しかし最後に大事なことを網羅しなければならない

その想いから倉庫から見つけた「カンナの写真」の展示に至るのでした

瓦礫の焦土からわずか1ヶ月で咲いてくれたカンナの花

畑口氏はこうおっしゃいました

「悲惨な展示を見て頂かなくてはならないが、せめて最後には希望を感じてお帰り頂きたい」

ところが カンナの花は被爆植物には指定されていません

当時の関係者からは

「夾竹桃もしくは被爆植物に指定されている花を掲げるように」

と言われたそうです

「しかしこれだけは譲れない」と孤軍奮闘の末 カンナが掲げられたのです


それから9年後

私はみごとに畑口氏の想いをうけとたのでした

もちろんその時はそのようなストーリーも意図も知る由もありませんでした


それだけのインパクトがこのカンナの写真にはありましたから

私はこのような大きなカンナの写真を誰もが見ない訳はないと思いました

ところが・・・

私がこのカンナにお礼がしたくて物語を書きました

広島で発表する機会を頂き披露すると

誰も知らなかったことが判りました

それからカンナの周知活動を始めました

ここ数年FB ブログ等のおかげで

たくさんの方々に知って頂く事が出来ましたが

それまでは点から点の伝達でしたので

いつも「初めて聞きました」の連続でした



間もなくリニューアルでこのカンナの写真はなくなってしまいます

(署名を集めましたが既に決定事 デジタル化しては残すことになりました)


12年かけてようやく少し知って頂けるようになったカンナ

未だに被爆植物には指定されてはいません

私もそういうことを訴えたりはしていませんので・・・

ただ ただ 知ってあげてほしい

あの日原爆投下からわずか1ヶ月で

爆心地820mに咲いてくれたあのカンナのことを知ってほしい

ただただそれだけでたんたんと伝え

子どもたちとカンナを咲かせ

世界にもバトンをつないでいます

全て自費での活動ですから限界があります


「75年は草木も映えないと言われたこの広島に新しい命が息吹きました」

と その展示に添え書きがあります

本当にカンナが咲くのは

本当に新しい命が息吹くのは

もしかしたら本当には75年後なのではないかとこのごろ思います


2016年4月11日

G7外相会合で資料館を訪れることが決まり

FBで呼びかけカンナの写真をみてほしいと皆で祈りました

1103人がアクセスしてくださり
143人がシェアして下さいました



みなさまの祈りが通じたのでしょう

30分の見学予定が50分に引き延ばされ

全ての展示をご覧になったと伝えられました

吉永小百合さんのイヤホンガイド付きの展示の最後がカンナです

岸田外相もこのカンナの写真のことをご存知です

(政権を執るまえ 広島で偶然の出遭いがありました)

きっとカンナの写真の意味を説明されたことと思います

カンナの役割は過去を未来に繋ぐことです

過去の事実を把握した上で

謝罪云々ではなく

皆が未来と言う同じ方向を向き歩んでいくこと

それを知らせるのがあの日懸命に咲いてくれたカンナなのだと思います

任務を逸脱してまでもシャッターを押さずにはいられなかった松元栄一さん

あの日亡くなったお父様をさがし歩いて胎内被爆した畑口さん

最後の仕事が資料館のリニューアルで反対を押してまでも掲げられたカンナ

あまり足を止める人の少ないカンナの写真

戦後59年目にそのカンナの写真にお礼をした私

広島でさえ「初めて聞きました」と言われて周知活動を始めた私

そのストーリーをご存知の岸田氏がこのときに外相になられていたこと

(偶然の出遭いのあとの3度の抜擢 今回が外相)

時は巡ります

必要なことは巡ります

そう信じてたんたんとたんたんと続けて来たカンナ・プロジェクトです

たくさんの子どもたちがカンナを咲かせています

アフリカの子どもたちもベトナムの子どもたちも咲かせてくれています


子どもたちと植えている最初のカンナを提供して下さったのが

須坂の田辺さん

子どもたちとの不思議なエピソード

物事にはストーリーがあります


そして今回のケリー国務長官のお言葉へと繋がっていきます

「今回の目的は、過去にとらわれるためではない。過去の教訓を未来に生かすことの重要性を確認するためだ。」
「オバマ大統領も、広島原爆資料館に行くことが望まれる」

このように述べられたと報道がありました

このタイミングでリニューアルの前のカンナの写真があるときに

岸田氏が外相のときにG7で資料館を20分延長してご覧になったことは

大きな意味を感じないではいられません

是非 オバマ大統領にもご覧頂きたいと思います

みなで祈りましょう


「75年は草木は生えない」

この意味は たんに実際の花が咲くことではないのだと思います

世界が平和の花の芽をだす時のことなのではないかと感じます

どうかカンナの写真のあるうちにオバマ大統領が任期のうちに

世界の平和の花の芽がでますようにと祈ります

75年と言う数字の本当の意味・・・・



政治的なことは難しくてよく判らないですが

子どもたちの未来が平和であることを祈ります

そのために過去を知って その上で

お互いにひとつのこの地球に生きる人間として

同じ方向に向って未来へと歩んでいけないものかと思います












全国25都道府県 世界13カ国に咲くカンナ・プロジェクト 
たんたんとリレーしています


この球根の元は、長野県須坂市の田辺さんが、広島でも雪が降るところがあるので、須坂の球根を買いたいと言ったとき、「そんないいことしてるなら、いくらでもやるよ、いくついる?1000個やるからもっていけ!^^!」と言って下さったところから始まりました。田辺さん亡き後は、市が協力して下さっています。須坂から、広島に、広島の土を吸った球根たちが、あの日の想いを伝えて、子どもたちの手でリレーされて咲いています。
「繋ぐ」「想いを馳せ合う」がテーマです。
お互いに想いを馳せ合えば きっと平和になると信じて繋ぐカンナのバトンです

広島爆心地820mに一ヶ月で咲いてくれた真っ赤なカンナの花の花言葉は「堅実な未来」なんです


世界中の人の心に平和と希望の花を咲かせましょう



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