- 榎本 純子
- 神奈川県
- 行政書士
対象:民事家事・生活トラブル
- 榎本 純子
- (行政書士)
おかげさまで、ナカナカの反響であります。
それだけ、この問題で苦しんでいらっしゃる方がたくさんいるのだな、と改めて思います。
さて、前回の続き。
家の中にだけいる被害者と、家から出ることのできる被害者の違いについて、です。
人間というのは不思議なもので、「それは絶対に間違っている」と思っても、確信をもった口調で何回も言われると、「もしかしてそうなのかな?」と思ってしまうものではないでしょうか。
例えば・・・・。
「東京タワーは大阪にある」
・・・・・・。
そんなはずはない、と思うはず。
だって、東京ってついてるんだから、東京にあるはず。
でも、何回も何回も、確信をもって言われ続け。
「東京と名前がついてるから東京と思い込むのは愚かだ」
と言われたら。
まぁ、多少例えが悪いかもしれませんが。笑。
これが、人格に対する攻撃だったらどうでしょう。
「あなたの言うことは全て間違っている」
「あなたは頭がおかしい」
または、はっきりと言葉にはしないけれど、明らかに、「あなたは間違っている」という態度をされ続けたら。
そんなはずはない、と思いながらも、前回お話した「お互いに選びあった関係である」という枷も手伝って、「もしかして自分が間違っているのだろうか」という気持に、だんだんとなってきてしまうのです。
ちょっと前がながくなってしまいましたが、本題。
ここで、『家から出ることができる被害者』と、『家の中だけにいる被害者』の違いが出てきます。
家から出ると、当然加害者以外の意見も耳に入るようになります。
「自分は間違っていると思ったけど、やっぱり間違っているわけではないのかな」という意識です。
これが、家から出られない=他人とあまり接触のない被害者の場合、加害者の攻撃にさらされるだけで、他の意見を聞く機会がなくなってしまいます。
私が見た限りですが、家から出ない被害者のほうが、加害者から強いコントロールを受けているように思えます。
それは、こういう理由からではないかと思います。
ですが、家から出ることのできる被害者の場合も、かかえている問題の重さは同じ。
そもそも、一番リラックスできるはずの家庭の中で、特に大きな問題がおきているわけでもないのに、「自分が間違っているのか」という疑問を持たないといけない状況、それ自体が一番の問題だと思います。
このシリーズ、まだまだ続きそうです。
ここまで読んで頂いた方には、今後もよろしくお付き合いくださいませ。
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