この世に善悪はあります!
-
徒然日記
2014-09-09 12:32
そんな話を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。
ですが、仏教ではハッキリと善と悪について触れています。
仏教で伝える悪とは「我執(がしゅう)」とも言いますが、エゴのことです。
じゃあ、エゴとは何かと言えば、自分の損得で物事を考えて得になることしかしないことです。
善は我執から逃れたとでも言いましょうか。
エゴ以外の行為ということになります。
少し何かを学ぶと、善悪や正誤は無いと言う方もおります。
ある意味でそうとも言えるのですが、それは自分という価値判断で考えた時の答えです。
自分にとって正しい、間違っているということではなく、誰が見ても間違いなく正しいと思えることが、本当に正しいということですよね。
仏教が伝えている「善」や「正」というのは、そういうものになります。
例えば、「1+1=2」という計算式は誰が見ても正しいですよね?
「いや、粘土なら1になる」とか「田んぼの田だ」という話しもありますが、あくまでも計算式として見た場合、時間や場所が変わっても不変のものです。
真理というものは、誰が見ても「確かにその通りだ」と思えて、時代や場所の影響を受けない不変のものなのです。
この世に生きとし生けるものは、みな幸せになりたいわけです。
これは誰もが疑いようのない事実です。
では、幸せになろうと思って自分のことしか考えずに行動をするとどうなるか…。
当然、人は離れていって、孤独感に苛まれることになります。
それでは誰も幸せになれませんよね?
自分が幸せになろうと思えば、周りの人も幸せにしていく必要があるわけです。
エゴのある行為では、誰も幸せにはなれません。
故にエゴは悪ですよ…と言っているのですね。
なんでエゴが出て来るかといえば、自分に執着するからです。
自分に執着すると、自分の健康を大切に思う様になります。
すると、あれが健康に良い、あれは健康に悪い…と区別を付けるようになります。
「この世に善悪は無いんだよ!」
と言っているような人が、実際には物事を二つに分け考えるようになるわけです。
つまり、考え方が偏ってきます。
自分の考え方が偏っていることにも気付かず、自分の正義を貫き通そうと、ますますエゴが強くなり、誤った考え方を信じるようになっていくわけですね。
何で誤った考え方かと言うと、根本がエゴだからです。
先ほどエゴからくる考えは、誰も幸せにならないことをお伝えしました。
誤解しないで頂きたいのですが、健康を気にすることが悪いと言っているわけではありません。
自分の身体のことばかり気にして、行き過ぎた考え方にならないように気を付けましょう…というお話しです。
第一、そんなに長生きして何をしたいのでしょう?
どうせ長生きするのなら幸せに暮らしていきたいものですよね?
不幸せが長く続くのは誰だって嫌なものですよね?
なら、今の自分自身の行動を見直してみた方が良いかもしれません。
自分の考え・発言・行為がエゴからきていないかどうか…。
もう一度言います。
「エゴからくる行動は誰も幸せになりません!」
全ての苦悩の根本はエゴです。
なればこそ、エゴを薄くしていけば幸せになっていくのです。
生きている限り、完全にエゴを無くすことは出来ません。
ですが、薄くしていくことは出来ます。
本当に世界の平和を願うのであれば、幸せな世を構築したいのであれば、まずは自分自身の内面を見つめていかないといけないのです。
だからといって、誰かの話しを聞いただけでは何もなりません。
学んだことを実践していくことで、初めて意味が出てきます。
もっと言えば、実践を始めることは簡単なのです。
継続していくことが難しいのですよね。
自分の内面を見つめ、人の為に動き、実践を繰り返していく…。
この流れこそが本当の幸せへの道です。
これ以外にはありません。
だからこそ、「善」であり「正」なのですね。
ちょっと聞くと大変な道に思えるかもしれません。
ですが、本当はエゴの道の方がよっぽど大変なのです。
些細なことで怒ったり落ち込んだり…。
負の感情の起伏が少ない無い道を歩んでみたいとは思いませんか?
そのために学びを深めていって頂きたいなぁ…と思うのです。
全ての人が幸せになるための学びが仏教の真理というものです。
ガンジーの言葉です。
「明日、死ぬかのように生きなさい。永遠に生きるかのように学びなさい。」
素晴らしい言葉だと思います。
あなたはどんな人生を送っていきたいですか?(^_-)-☆
※メールマガジンだけでしかお伝えしないお話しもあります!
見方革命家まーくのメルマガ登録はこちらです♪
★9月14日(日)、般若心経とは?
★9月21日(日)、心身健全の八条件とは?
★9月24日(水)・28日(日)、ブッダが辿り着いた真理とは?
気功と仏教の入門講座申込みフォーム