- 鴫原 弘子
- 経営コンサルタント
対象:キャリアプラン
- 宇江野 加子
- (キャリアカウンセラー)
- 冨永 のむ子
- (パーソナルコーチ)
私のキャリアのスタートは、 1970年代後半。
松下通信工業(現パナソニックモバイルコミュニケーションズ)の
研究開発部勤務。
研究開発部では図面を引く仕事に従事し
それ自体は面白かったのですが
社会構造や仕組みを体験する事で
『これが日本の社会か…』と将来に不安を抱きました。
なぜなら、当時の一般企業は
「寿退職=女性の花道」というのが暗黙の了解でしたので、
企業の募集・採用から配置
昇進、教育訓練、退職に迄も
女性に対する差別がありました。
さらに、人と違う色のカーディガンを着ているだけで怒られたり
12時ぴったりに食堂へ行くと混雑しているので
10分ずらして行くようにしたら
『生意気!』と言われたり(笑)
私は高校の「デザイン科」で
『人と同じ視点で考えるな!
それではデザイナーとしての存在価値がない』
と教育されてきた人間ですから
合うわけがありません。
『社内結婚するのが当然』
『結婚したら社宅に入り、家電も自社製品。
社員でいれば、一生安泰』
という雰囲気に疑問を抱いてもいました。
そんな時代の中
いち早く【女性が活躍し、脚光を浴びていた!】のが
ファッション業界だったのです。
「スタイリスト」・「デザイナー」といった
【自身の特化した専門性・名前を武器】に
「フリー(独立)」として活躍する女性達。
次々と創刊されていくファッション誌の中で
新しい時代の息吹と共に彼女達の活躍が
頻繁に紹介されていました。
それこそが、私の求めていた「手に職をつける」
=【ある分野で、食べていけるだけの技術や知識を身につける】
理想の働き方だったのです。
ファッション業界でなら
【新時代の、女性の働き方の理想が、きっと実現できる!】
20代の今後、私の歩むべき道が
鮮明に浮かびました。
☆続きをお楽しみに。