
- 笹木 正明
- キャリアカウンセラー
対象:老後・セカンドライフ
2019年9月6日、60年ぶりに徳山市立櫛浜小学校5年、6年生の担任田内勲先生からハガキを頂いた。7月にご挨拶の手紙を郵送した返事だった。これで小学校から大学院までお世話になった5人の先生に御礼が出来たことでホッとしている。その他の先生は全て他界された。
先生は昨年86歳で大病を患い2か月入院し今年退院、デイサービスを受けられている。7月電話した時には耳が聞こえないとの事で会話が出来なかった。ハガキはびっしり字の詰まった個性的な手書きの素晴らしい文章だった。
「出会いがあれば別れがある」は下松工業高校1年生のクラス担任で英語担当だった嶋内寛先生からお聞きした言葉である。先生は1年後母校の防府高校に転任されたが大切な思い出がある。
田内先生には太華中学校に入学後、一度だけ櫛ケ浜商店街を自転車で走行中に出会った。その時「バイアコンヂィアス」とにっこり笑っておられた。
大学卒業後、時々思い出しお会いしたいなと思いつつ住所が分からず時間が経過、そして60年が経過した。今の時代、インターネットで名前を入力すれば住所が見つかる場合もある。田内勲とインプットすると住所と電話番号が出て、直ぐに電話したのだ。
さて先生との思い出である。当時教師スタート3年目に赴任されたのでお若く、私が6年生(12歳)で先生は24歳だった。優しい人で怒られた記憶はない。先生の宿直時に学校に行き仲間と一緒に泊まったこと(藤田君のやすき節の名演技等)や、休みに田布施の実家に遊びに行き、川でウナギをつかみ取りしたことがあった。私は小学校1年から3年までは楽しい思い出は少ない。いつも怒られていた。4年生担任の箱島先生から優しくしてもらい少しやる気が出てきた。少年朝日年鑑を読み始め、社会科に関心を持ち始めた。5年、6年生時の写真を見ると少年野球に参加し優勝した時の茶話会の写真、私がファーストミットを持ち、先生やクラス仲間と一緒に撮った写真がある。社会が得意だったので先生から「常識が素晴らしい」と通知表で褒められたこともある。それまでは学芸会で主役をやったことは無かったが、6年生の時、お医者の役をやり歌を歌った。耳鼻科の先生風。「私は医者よ、びりびりぶんけんぶん、繰り返し、けれども私はびりびりぶんけん、馬鹿に付ける薬はない」というセリフで大いに盛り上がったとのことだった。田内先生から勉強の楽しみを教えて頂き積極的に学びはじめ、太華中学校に進んだ。今回の件、あまりに昔のことで先生はびっくりされたが、楽しい良き時代を思い出し元気が出たとのことだった。私も74歳の老人だが先生が少しでも長く生きられるよう願っている。
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