先日「マクロビオティックも進化している!(プロの方に今の私の食生活の診断をして頂きました)」というコラムを書かせて頂きましたが、
私はその時に回答して下さった方に、その後別の「食」に関しての質問をさせて頂いた事がキッカケとなり、ちょっと個人的なお話しなども含めメールでやり取りさせて頂く機会がありました。
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その中で、私は改めて感じた事がありました。
それは「どの様なものであっても、行き過ぎ・やり過ぎになると中心から外れて行く」という事の再認識です。
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そしてその回答者の方からお話しを聞く内に「あぁ、この方はきっと若い頃からずっとマクロビオティックに傾倒しストイックにやり過ぎた結果、今の結論に辿り着いた方なのだろうなぁ!」という事でした。
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何かに傾倒するというのは、云わば「宗教」と同じですからね~。
どの様な良いものであっても、それを盲目的に信仰すると思考が極端になりがちで、「原理主義の宗教」の様に成ってしまうというのは、どの分野に限らず同じであると私は思うのですね。
そして人は或る時に、そのやり過ぎの結果「中心からかなり外れた自分」というのに気付いてしまう…。
そしてその時には、自分の信じて来たものを純粋にストイックに長くされて来た方ほど、そのショックというものが激しいものになるのですね。
私は彼の中にそれを感じました。
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そういう方が真面目に一途に自分が信じて来たものを止めるまでの抵抗感と葛藤は、そういうものに自分が心を懸けて来た時間が長ければ長いほど、そのバランスでそれはそれは激しいものになります。
それでも勇気を持って手放せた方はまだ幸いですが、拘りが強過ぎた方ほどそれを手放した後の反動というものも、そのバランスで又大変大きな苦しみになるのだと思います。
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そしてこの回答者の方からは、私は以前に初期仏教の出家僧侶(日本人)の方と触れる機会があった時に、その方から感じたものと同じ匂いが私には感じられました。
つまりそれは「気付いていても引き返せず、その道を進むしかない自分の社会的立場から来る意地」という状況から生まれてしまった自分の中の大きな矛盾から生じた "演じる自分" から生まれて来る「罪悪感」と、
自分を保つ為に必死にそれを見ない様にしたり、隠したり誤魔化そうとする為の「見栄」「虚栄心」「妄想」というエゴから脱却し切れず人知れず葛藤されておられる姿が、私は彼にダブって視えてしまったという事です。
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この方の場合は自分の中の矛盾にすでに自覚があり、勇気を持ってご自分の盲信して来たものを「手放す」という段階に来ておられての今であり、
その全ての経験から今の自分が感じている事を生かし、ご自身で新たなバランスを取り入れたマクロビオティックのアドバイスを人にされる反面、
彼自身が(多分無意識に)現在受けているその反動というものはハンパないのだなという事も、私はメールのやり取りの中で感じてしまったのでした。
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つまり「この方は自分の中に起こった激しい反動を、今現在消化されている真っ最中でもある」という事を私は感じさせて頂いたのです。
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私もマクロビオティックの哲学が好きで程々に実践して来た者の一人ではありますが、それと共にいつも「自分の身体に聴く」という事もして来たお陰なのか、その拘りは彼ほどに激しいものではないという事も感じる事ができました。
それは度々コラムでお伝えして来た様に、我慢が嫌いな私はそれほどそんなに厳格過ぎるやり方にはなっていなかったからだと思います。(笑)
(ちなみに私の場合の今の「食」のアンバランスは、長年豆腐や豆乳、豆類を摂り過ぎて体が陰性に傾いているという事が自分自身でも、そして彼のアドバイスからも理解確信できました♫)
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そして今回の彼とのやり取りからは、又一つ私の中で「知ってそれに拘らない」という "中道の大切さ" を改めて味わわせて頂く機会ともなりました。
☆_(_☆_)_☆
ちなみにこの回答者の方と私に共通するなぁと私が感じたものは、お互いに「やってみたから気付ける」という、"自分の経験から体感で納得でき理解する" という自分の財産になる貴重なオリジナル体験が、それぞれ自分でできているという点です。
これは以前にも何度かコラムで書かせて頂いている事ですが、「知って(経験してみて)それに拘らない」というものには軸(芯)がありますが、「知らない(経験しない)で拘らない」というのは優柔不断や迷いに繋がる経験になりますからね。
そういう意味では彼も又貴重な人生経験をされておられる訳であり、現在はご自分の中心を取り戻されておられる真っ最中なのであろうな~と私は感じさせて頂きました。
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そして又、私は彼との違いも感じました。
それは私は芸術家なので、その都度 "今" という時を自分に正直に "生き切る" という生き方を昔から信条とし、それが日常でもできる体質を持っているお陰なのだと思いますが、
彼ほどの「自分が人生でやり残したもの」というものを感じていない、つまり人生に心の平穏を得られているという事です。
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今回のやり取りの中で、彼は自分と同じ様に私を見たがっている様な節がございましたが(※これも人間の性(サガ)の一つデス)、この部分に関して私達の見解と意見が割れたのは、その様な私の芸術家としての生き方と彼の今までの生き方の違いからなのだろうと私は理解致しました。
そして、やっと本当の自分というものを外に表現し始めた今の彼には、「私の今感じている感覚(領域)は理解できないだろうなぁ!」という事も私は感じました。
☆_(_☆_)_☆
ちなみにこれは私の眼ですが、彼は今少々分裂症になられている様にお見受け致しました。
これは「人は純粋であればあるほど、何かを情熱的に盲信した分深く傷付いてしまう」という事の裏返しなのだと感じますし、又それは私達人間は年齢を重ねないと分からない事があるという事でもあります。
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彼は現在、時折りまだ思考が極端に走り、仰る事に一貫性が無い=矛盾する事を同時に伝えて来る様な事も多々あるという事から、私は現在の彼の苦悩がそこに現れていると感じましたし、
彼が未だご自分の中で消化し切れていないものは、「自分の中の創造性の欠如(=他者の作った教義を妄信し自分自身を表現し切れていない人生)から生まれている激しい性エネルギーの昇華」ではないかとお見受け致しました。
(※こういうタイプの方は出家された僧侶の方達や、敬虔な宗教信者の方達に大変多いのは事実です)
☆_(_☆_)_☆
私は彼ほど厳格に長期に渡りマクロビオティックの食生活をした訳ではないですが、若い頃にトライした時には劇的な体質改善が得られたという実体験もありましたし、
そして現役を引退して運動量が減った自分が「安心して食べられる食事法」として自分が選んで、ここ5年間ほどマクロビオティックを自己流に続ける中では、その若い頃に感じたものとは全然違う自分の体の感覚というものがあって、そこから又色々な事を学べました。
そして少々自己流にやり過ぎた結果、少し中心からズレていると自ら自覚できた今の私が「マクロビオティック」というものに出した結論は、先日のコラムでもお伝えした通り、
「私は今まで本で書かれている事を信じてマクロビオティックを中心と思い実践して来たのですが、若い頃に一度トライした時の様な劇的な変化というものは無く、又最近の自分の体の変化や体感から、
マクロビオティック食事法は実は中心ではなく「陰性寄りの食事療法」であるのではないかと感じ始めておりました。(この結論は、続けてみたから逆に良く身体で理解できるものになりました)
マクロビオティックの本に書かれている『食べ物と身体に出る症状の相関関係』などは自分でも様々体感した事から正しいと感じますし、その素晴らしい哲学も個人的にはとても好きなものではあるのですが、
多分体調不良や肥満の方など、そして病気などで体質が偏り過ぎた方などの為のアンバランスを調節する食事療法として一番効果を発揮するのがマクロビオティックなのかもしれないですね」
という所に落ち着きました♫ (笑)
☆_(_☆_)_☆
つまり時々体や内臓をクリーニングさせて活性化させてあげるというスタンスが、一番マクロビオティックの良さが引き出されるスタイルだという事の再認識ですね♫
つまりこれから私は(彼から頂いたアドバイスの通り)、今まで通り基本はマクロビオティックスタイルを主軸に置きつつ、少し食べるものの幅を広げたバランスの取り方をするという事です。
そしてそれプラス、勿論今まで通りに「自分の身体に聴きながら」というのが私の一番の基本です♫
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マクロビオティックは、特に「食べ物と内臓や病気の相関関係」などには本当に素晴らしい真実と叡智が沢山含まれていて(※これ等は自分の体が感じた実体験から理解する事です)、
人や体質によって素晴らしい効果を発揮する一つの優れた食事法でもある事は、今でも私の中では間違いない事実です♫
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でも、全てのものは "絶えず変化し続けている" というのがこの世の中の真理ですので、"中道を行く" という「この世の正しい答え」を得る為には、どんなに良いものでも「絶えずアンバランスを整え続ける」という作業が不可欠なのですね。
それを常に怠らず並行し続ける事で、初めて可能になるのが「中道」であり、どの様なものでも「これが絶対に正しい」と固定化できるものはこの世には無いという事です♫
だって固定化した時点で揺らぎが起きるので、常にアンバランスが自動的に生まれますからね~。
(^^ゞ
つまりこの世にはどの様なものでも「絶対的」というものは存在せず、絶えずバランスを取り続けなければならないのが「生きている」という事なのだと思います。(あぁ、この世は深いのぉ~~~。笑)
( ・・) ~ ☆彡
ちなみに彼の書かれている最近のブログをチラリと読ませて頂いた時に、「私に罪悪感は無い」という言葉があったのですが、私はむしろこの彼から発せられている言葉の中に、現在の彼の持つ苦しみを垣間見た気が致します。
きっとそれは彼が今まで自分のされて来られた事を(過度にマクロビオティックを信仰し厳密にやり過ぎた事と、何よりそれを長年多くの人達に指導して来た自分に対して)、「過ち」であるとか「失敗」であるとかという捉え方をどこかでなさっておられるからではないか?と感じました。
そしてその様な捉え方が、ご自分を苦しめられておられるのではないか?とも思いました。(きっとそれだけストイックな方でだったのではないでしょうか?)
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でもそれは決して「失敗」というものではなく、過去に彼の指導を受けた方々も「各自の自己責任の選択から生まれた縁である」「彼の指導により救われた方達も沢山いる」という事実や、全てが「経験をする事で知る事ができた」という貴重な自分の財産になったという事に彼が気付ければ、
自分自身を罪悪感で苛めたり、「何かに裏切られた(※純粋な方ほどこの様な反動が来ます)」という、行き場のない憤る気持ちをご自分の中に持たなくて良いのにな~~~と、私は個人的に感じます。
ちなみに彼は、理屈ではこの様な事を全て理解されておられる様ですが、実際はまだご自分の人生の中で消化し切れていないものが多々あり、現在非常にもがいていらっしゃる様に私には感じられます。
でもそれは彼という方が、人に対して優しさを持っているという事の裏返しでもあるのですね。
私が感じる事は、彼の実践して来たマクロビオティックが間違っていたというのではなく、極端になり過ぎて中心から外れてしまったという事に過ぎないというだけで、生きている内にそこに気付けた彼は素敵だとも私は思います。
( ・・) ~ ✿
結局どの様なものを誰から学んでも、最終的には「自分に合ったやり方は、自分で模索しながら自己責任で結論を出す」というのがどなた様に取っても「正しいやり方」になるという事は、いつもこのコラムで私がお伝えしている通りですね♫
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心の平穏というものから得られる波動は、どの様な方達に取っても幸せには不可欠なものなのです♫
ちなみに芸術家というものは「自分を表現するという事で性エネルギーを昇華している人種」でもあるので、性を超えた人間関係というものも持てる人種でもあります♫
この性を超越できた人間同士の繋がりというのは、本当に微細に研ぎ澄まされた美しい感性を持った者同士で可能になるものであり、又とても素敵な経験になるのです。
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私は自分の人生を芸術家として生きて来られた事がとても嬉しいし、
又この世で一番尊敬できる方というのは、職業に関わらず「自分を偽らず、自分に正直に "自分のオリジナルの創造性を純粋に素直に表現できる」という芸術的生き方をされておられる方々です。
(注:"なんちゃって" や"もどき" を除く 笑)
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このコラムの執筆専門家
- 大園 エリカ
- (東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
natural & elegance
長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年