なにかに秀でた人というのは、
いつも心は空っぽだ。
心を空っぽにして、
人々の心が自分の心であると考えている。
よいことはだれもがよいとわかるが、
悪いことも、
秀でた人にとってはよいことだ。
嫌な目にあっても、
よいことに出会ったのと同じように
受け止める。
信用とか、信頼とかも同様だ。
裏切られたり、嘘をつかれたりしても、
それもまた、一種の信じる心なのだと、
甘受する。
秀でた人、優れた人は、聖人と言われるが、
いつも慎み深く、控えめだ。
成功を手中に収めても、
おおっぴらにしようとしない。
ふつうの人であれば、
だれもが目や耳を凝らし、
情報や情勢に敏感でいようとする。
聖人と呼ばれる人たちは、
外部の情報などは一切閉ざし、
心を惑わされることはない。
だから、
すべてを受け入れるために、
心はいつも空っぽのままだ。
(※「心が安まる老子 伊藤淳子 訳 より)
静かで穏やかな一日の終わり ~ ☆
(^^☆
今回のこの「老子」のメッセージは、最近私の身の周りで起きている事にとてもリンク致します♫
(^^♪
自分が黙っていても、又は何をしていなくても、全てがちゃんと自分が最初から見通していた通りの結果になりつつあるという事実は、
自分に取って「やはり自分の眼は正しかった」という証明に繋がるものであり、又それが自分自身の眼への更なる信頼に繋がる得難い経験になったという事でもあります♫
つまり、今こうして何もかもが「時が解決してくれる」という方向に自動的に事が向かい出したという事実は、
やはりこの宇宙は全て、各自の個々の「因果の法則」という真理に従って動いているのだという、今まで自分が信じて来た事を改めて確信させて頂ける経験に繋がったという事なのです♫
《 ゚Д゚》☆彡
自分が孤独に誰にも話せず、誰からも理解されない時を過ごしたこの数年間を逆に解釈すれば、
「自分自身を信じ切る」という経験を私にさせる為に、天が私に試練を与えていたのだろうか? お試しだったのだろうか??? とも感じられる今日この頃ではありますが、
でも今、私の周りで勝手に(否、必然的に)自動的に起きて来た出来事に対しては、私は遠くから黙って静観させて頂くのみなのです。
そしてその今後に行き着く結果に対しても、私自身は「こうあって欲しい」というものは何もありません。
何故なら今回の事がどの様な結果になろうと、私自身も自分の「因果」からの天の采配として受け止めるだけですので、私には「同じ事」だからです。
( ・・) ~~~
今回の事で私自身が得られた宝物は「結果」ではなく、その厳しい試練の中で「自分自身を信じ切る」という事を貫くという経験ができたという事。
そして時が過ぎ、今この様に自然発生的に自分の周りで起き始めた事に対して、その「原因」と「結果」の因果関係を静観させて頂く事ができるという事。
この体験は、今後の私の人生に取っても大変貴重な財産の一つになる事を確信致します。
☆_(_☆_)_☆
そして今、自分自身に言える事は…、
「周りの人が自分に対して何をどう言おうと、自分だけは自分を信じ切って良かった!」という事だけなのでございます。
( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡
そして私はその財産を胸に、これからも他人はどうであれ「自分の眼を信じ切れる」という生き方を貫いて生きてみたいという思いを改めて強くしております♫
☆_(_☆_)_☆
でも皆様!
この生き方は、口で言うほど簡単な道ではごじゃりませんのよ~~~ッ!(笑)
それは、おやりになれた方だけが解ります!?(笑)
(^^;
このコラムの執筆専門家

- 大園 エリカ
- (東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
natural & elegance
長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年