成”幸”学の専門家「昭和天皇一代の料理番に学ぶ」 - 飲食店経営全般 - 専門家プロファイル

杉山 春樹
株式会社フード&サクセス 会長&事業プロデューサー
静岡県
飲食店コンサルタント

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平岡 美香
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閲覧数順 2017年02月22日更新

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成”幸”学の専門家「昭和天皇一代の料理番に学ぶ」

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『昭和天皇一代の料理番に学ぶ』




昨日は、ゴールデンウィークの初日の祝日、『昭和の日』でしたね。



この日は、元々は

「昭和天皇の誕生日」を祝して制定された国民の祝日でした。



そこで、今日は「昭和天皇」にまつわるエピソードをご紹介しましょう。



「昭和天皇一代の料理番」として仕えた谷部(やべ)金次郎さんの話です。



天皇の料理番としてのスタートは昭和39年の初春



天皇の料理番として有名な秋山徳蔵(あきやま とくぞう)さんの


「ぼうやいくつだ、どのくらいできるんだい?」の第一声でした。



※秋山徳蔵さんはテレビドラマ『天皇の料理番』のモデルになった方です。



その谷部さんが昭和天皇とのエピソードを次のように話していました。



私は当時17歳。



『日銀クラブ』と呼ばれた超高級料亭の料理長でもある厳しい義兄の下で、

料理人への道を歩んでいました。



そこでの修業は、新人といえども、

ただ単にお皿を洗っていれば良いというものではなく、


ダシをとることから魚を下ろすことまで、

なんでもやらなくてはなりませんでした。



修業期間は一年半と短かったが、

普通に料理の勉強をしている人には

負けないだけの自信を持っていました。



その頃、宮内庁の新年祝賀会のお手伝いに

出向いていたことがきっかけになり、



「宮内庁の大膳課に欠員ができた、若い料理人を探している」

ということで私に声が掛かったのです。



「どうせ宮内庁職員の食堂だろう」と思っていたら


宮内庁からの採用通知は、

昭和天皇の食事を作る大膳課和食担当の辞令でした。



「天皇陛下のお食事なんだから、豪華なものに違いない」


「腕によりをかけて勉強して、いい料理をいっぱい作ろう」

と意気込んで大膳課に入りました。



ところが、驚いたことにお食事の献立はごくごく一般的な、

本当にシンプルなものばかりでした。



大根と白滝を油でさっと炒めて煮た物やほうれん草のおひたしなど、

むしろ一般家庭と比べても地味なくらいでした。



食器もいたって質素でした。



「こんな普通のものを作りに来たんじゃない」と

拍子抜けしたほどです。



料理人として陛下にお会いできる機会はまずありません。



いつも女官さんを通して陛下の感想が伝えられました。



ただ、陛下にお仕えした26年間の中で

1度だけ、直接お目にかかることができました。



「菊栄親睦会」という、

皇族と旧皇族の方々による年に1回の催しの席です。



その頃、私は大膳課に入って5、6年が経っており、

陛下のお食事も作り始めていましたから


立食形式のそのパーティーで、天ぷらの係になりました。



黙々と天ぷらを揚げていると、

目の前に陛下がお立ちになっていました。



この時初めて、陛下に直接、お声を掛けられました。



「穴子としそを」


「はい、かしこまりました」


そう返事はしたものの、頭の中は真っ白。


緊張して手は硬直し、

小刻みに震えて、穴子としそがうまく箸で掴めません。



どうにか揚げなくては、と

震える右手をおさえるように左手を添えながら、

なんとか油の鍋に入れました。



ところが、衣と葉がバラバラになってしまい、

見る影もありませんでした。



それでも陛下は天ぷらの出来栄えを気にするご様子もなく、

喜んで召し上がってくださいました。



その時、

私はその場に倒れそうなくらい力が抜けていました。



戦後生まれの私は、正直なところ、それまで陛下を

特別な存在と思ったことはありませんでした。



ところがこの日、陛下の穏やかながら威厳のあるお姿に接し、

自分はなんと小さい存在なんだと圧倒されそうになったのです。



「生涯、この方お一人のためにお仕えしよう」と

誓った日でもあります。



陛下は、思いやりに溢れたお方でした。



例えば、人から物を戴かれた時には、

贈り主の心を無駄にしないような扱い方をなさり、


常に相手の立場に立ってものごとをお考えになっていました。



お食事に関してもご自身のお言葉の影響力を

分かっていらっしゃったので、

食べたい物もお言葉にはされませんでした。



しかし、おいしい時は必ず「おいしかった」と伝えてくださり、

一度箸をつけた料理は残さずきちんとお召し上がりになりました。



私たち料理人にも細かい心配りをされていました。



私は、そんな陛下の豊かな人間性に、

ますます惹かれていました。



陛下が倒れられたのは、昭和63年。


お食事を吹上御所までお運びした数時間後のことでした。



この時のショックは今も忘れられません。



大膳課も最悪の事態に備えていました。



昭和64年1月7日早朝、ついにその時が来ました。



せめて最後のお別れのご挨拶をしたいと、

女官さんの後をついて行き、


御簾(みす)の向こう側で永遠の眠りにつかれた

陛下に深々と頭を下げました。



私の料理に「おいしかったよ」と言ってくださる陛下には

二度と会えないと思うと、魂が抜けていくような気がしました。



御大葬(ごたいそう)が終わり、

次の行き先も決まらぬまま、

大膳課を辞める申し出をしました。



子どもたちはまだ5歳と3歳、

買ったばかりの家のローンも先まで残ったまま。


しかし、自分がお仕えするのは

「昭和天皇お一人のみ」という私の意志は、

決して揺るがなかったのです。



大膳課を辞めた私は、

テレビ番組や自宅、大学で料理を教えるようになりました。



仕事は変わりましたが、「おもてなしの心」が

料理を作る上での原点であるという思いは変わりません。



陛下から学んだ思いやりの心を

多くの人に伝えることが、今の私の使命と思っています。


(谷部金次郎)



日本人の心、『おもてなし』


私たちも大切にして次に伝えていきたい

「日本の文化」ではないでしょうか。



ですから、どんな時も相手の立場に立って

考える習慣を身に付けましょう。



そして、その気持ちを言葉にして伝えましょう。



どんなに心に思っても、言葉や態度で表わさなければ

相手に気持ちは伝わりにくいのではないでしょうか。



だから、心に思った相手への気持ちは、

言葉にして伝えましょう。



行動に移して表わしましょう。



「言葉はちから」です。


口にした言葉によって相手への「思いやりの気持ち」は伝わるでしょう。



しかし、もっと大切なのは、

その発した言葉によって

自分自身の「おもてなしの心」が更に養われることでしょう。



さあ!!、今日も、


「言葉のちから」を信じて、


明るく、元気に、


おもてなしの言葉とともに


ウキウキ、ワクワク、人の喜ぶことをしてあげましょう。



相手の喜ぶことを自分の喜びとし、

人の笑顔で自分を笑顔にしましょう。


























































































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