唐突ですが、私は断言致します!《 ゚Д゚》!?
人類の不幸の始まりは、人間が持ってしまうコンプレックス(罪悪感・自己卑下・自己憐憫・被害妄想)から生じる「自己否定」が原因であるという事を…です!(笑)
いやいやこれは、決して笑い話しでは無く、マジで真剣なお話しであります。
☆_(_☆_)_☆
この世の法則は「与えたものしか受け取れない」が原則です。
その原則に照らし合わせて考えてみますと、
「自己否定」というものをご自分に "与えている" 人というのは、
他人に「私を否定する様に扱って下さい」と自らからお願いしている事と一緒なので、
その方の受け取れるものは、ご自分が自己否定している分だけ、他人から「尊重されない」「否定される」「無視される」「気付かれない」という様な扱いを受け取る羽目になり、
結果、その人は日常で絶えず「不愉快な出来事」に遭遇してしまうという事なのです。
(^^;
ご自分の中と外は一緒ですので、ご自分が「他人から、どう扱われるか?」というのは、ご自分の内面が引き寄せてしまっている訳で、そこに「偶然」というものは無く、全てが「必然」なのですね。
ですのでたまたま訪れた場所で、初めてお会いした人や見えて来る出来事などで、自分が「尊重」されない様な残念な状況に遭遇してしまうというのも、決して偶然の出来事ではありません。
(^^;
…と、この様なお話しは、今までもここのコラムで散々お伝えして来た事なのですが、
それが何故「人類の不幸の始まり」なのか?という事を、今から私なりに解説して参ります♫
_(_^_)_
「コンプレックス」というのは「自分は他人よりも劣っている」という事を、自ら認めて受け入れてしまった状態を言います。
ですが、本当はそういう「思考」や「思い癖」は、自分自身に対してとても失礼な事であり、自分でも気付いていない自分の「心」というものが大変悲しみ嫌がる事なので、決して自分に取って「心地の好いもの」は生みません。
( ; _ ;)
ですのでそういう方は、年中不機嫌であったり、沈みがちだったり、気分のムラが激しかったり、何かに怯えていたり、何かを隠そうとなさったり、人間嫌いであったりと、感情の起伏が激しい「情緒不安定」になられるのですね。
又、人によってはそれを見破られない様に、他人に対して高圧的に「虚勢」を張ったり、自分を他人に認めさせようと「自己顕示」を図る事で、ご自分を保とうとなさいます。
(^^;;
でもそうする事でご自分の抱える根本の「コンプレックス」が無くなったり、解決できる訳では無く、
どの様な言い訳を持ち出しても、それらの方法は全て「一時しのぎ」でしかありませんから、決して良い方法とは言えないのですが、多くの方が少なからずその様な根本解決にはならない生き方を選択されておられる模様です。
「今」やらない方が、後でおやりになる事はありませんし、又そういう方が「やらない人に寛容」なのは、実はそうして「いつまでも言い訳を持ち出して "やらない自分"」を許して欲しいという甘えた気持ちの裏返しでもありますが、
では、そうしている事で、何か自分の「自信」に繋がるのでしょうか?
情緒不安定の元の「コンプレックス」を解消できるのでしょうか???
(^^;
その様に「駄目な自分」「だらしがない自分」「できない(ではなく、本当は"したくない"のですが 笑) 自分」という、自分に取って決して心地の好くない自己否定に繋がるコンプレックスを抱えた情緒不安定な方達が周りに与えるものというものも、やはり「自分の内面」になる訳ですから、
それが周りにも、そういう不愉快の種を (※人によっては無自覚に) 撒き散らしてしまうという事にもなっており、これが人類の不幸の始まりになっているのです。
( ・・) ~~~ ★彡
コンプレックスを抱えた方達というのは、他人が何も他意は無く普通の話しをしているだけで、相手から自分のコンプレックスを刺激されたと勘違いして「傷付けられた!」と思い込む、被害妄想からの悪癖が根強くあります。
(^^;;
そして、これが世の「シンプルな事を、ややこしくする」元凶になっているのですね。
( ・・) ~~~ ★
コンプレックスが生み出す「自己否定」の強い方と会話をすると、物事を真っ直ぐに受け止められない方が多いので、非常に周りの人を疲れさせてしまう所があります。
(-_-;)
例えば昔、私はこういう経験をした事があります。
それは私が現役の頃、本番の舞台を控えた楽屋で、先輩格に当たる或るバレリーナの方とご一緒した時の事でした。
その時の舞台は、私の様にフリーのダンサーであったり、又各バレエ団所属のダンサーの方達が、皆ゲストで踊るというコンサート形式の舞台で、
主催者側から割り振られた楽屋で、私は初めて彼女とお会いしたと言っても良いくらいの、それまであまりご縁の無かったその方とご一緒になりました。
バレエ界という狭い世界でお互いに名前は存じていましたし、彼女は私よりも年上で、私の先輩格に当たる方といっても良い長いキャリアをお持ちの方でした。
( ・・)
その時は彼女の他にも、フリーのゲストバレリーナの方達もその楽屋に数人いらして、その中に以前に舞台をご一緒した事のある方がいらしたので、その方含めて皆でお喋りに華が咲き、
その中で私は、以前に足に怪我をした時に治して下さった鍼治療の先生から伺った「東洋哲学」から来る東洋治療などの奥深い教えに触れた時のお話しをしたのですが、
その当時悩みが多かった私が、その先生から言われた印象深い言葉として「大園さん。貴女は下を見る事無く、上だけを見て歩いて行きなさい」と言われたという話をした途端、
それまで話に加わっていなかった様に見えた、その先輩格に当たる彼女から「貴女!下を見るってどういう事!?」と、突然お怒りの感情を投げ掛けられて、とても驚いたという経験をしたのです。
《 ゚Д゚》!? !? !?
そのピリピリとした彼女に、皆が驚きを隠せなかったのですが、
私はその時に感じた事は、「人はそれぞれ、何かのコンプレックスを元々中に持っていて、それを刺激されると感じるものに反応してしまうのだろうな~」という事でした。
(^^;
彼女は勝手に「自分の事を言われている」と受け止めて、私の話しを聞かれていたのでしょうか?
けれど、彼女が反応したのは「上だけを見る」という事の方では無く、「下」という言葉に強く反応されたという事が、私には彼女の中に持っているコンプレックスをハッキリと見てしまった様に感じたのでした。
私達は普通の話しをしていただけで、その時に誰も彼女の事を意識して話をしてはいないし、
誰も彼女を怒らせたり傷付けたりしていないのに、
コンプレックスを根に抱えてしまっておられる方というのは、そうして自ら自分を傷付けながら、それを他人のせいする為に、こうしてその場の空気を一瞬にしてネガティブに引き下げてしまうものなのだと、私はその時に感じたのです。
《 ゚Д゚》!!
(※長くなるので、次回に続きます♫)
いつも広々とした、見晴らしの良い空の様な心でありたいものですねぇ!♫
(^^♪
このコラムの執筆専門家

- 大園 エリカ
- (東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
natural & elegance
長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年